ベジタリアン(菜食主義者)
ベジタリアンは、「ベジタブル:野菜」をしやすい言葉ですが、ベジタリアンという言葉の語源はラテン語の「vegetus :健全な、新鮮な、元気のある」にあります。
その種類もいろいろとあります。
- ヴィーガン (Vegan)の中にも、いろいろとありますが、基本的に動物の肉(鳥・魚・その他の魚介類)と卵・乳製品・蜂蜜、動物由来のゼラチン・羊毛脂等を食べず、また動物製品(皮製品・シルク・ウールなど)を身につけたりしない人たち
- ラクト・ベジタリアン (Lacto Vegetarian)
植物性食品に加えて乳・乳製品などを食べる人たち。 - ラクト・オボ・ベジタリアン (Lacto Ovo Vegetarian)
植物性食品と乳・卵を食べる人たち - ペスコ・ベジタリアン
植物性食品・乳・卵と、魚を食べる人たち - ポーヨー・ベジタリアン
以上に加えて、鶏肉を食べる人たち
と、分類するとこんな感じです。
しかし、『わたしは○○だから、こうでなければならない』のような縛りになると苦しいでしょう。『○○に越したことはないが、こうしてみよう』のような心と身体に優しい選択をしていきたいものです。
ゆるベジ生活
僕たち夫婦は「ベジタリアン」と呼ばれることがあります。
ベジタリアンという言葉が、菜食主義者と訳されること、理解されることが多いですが、主義というほどの信念はありませんし、それを唯一無二の価値観として人に押しつけることもありません。
大義名分のある「偏食」とも言えますもの。
好むものが野菜や果物であるという生活と、野菜や果物、穀類しか食べませんという何かエンジンブレーキのかかった生活は、似て非なるものだと思います。
ゆるーく、ながーく菜食を続けています。
おかげさまで菜食料理教室も好評です。
ゆるベジの心得
- 排他的になったら、我慢していることを自覚する
- メニューの選択肢のひとつである
- 結果的に身体と心に優しい選択をする
- 本当にお腹が空いたら食べる
- 野菜や果物に含まれた「生きている水」を感じる
- 「いただきます」「ごちそうさま」を心の底から言う!
を意識しています。
心の平安、身体への配慮のために、ベジタリアンを選ぶのに、何かを裁き、排他的になったり、狂信的にある理論を信じたり、それは間違っていると何かを糾弾したりしていたら、肝心な心の平安はやってこないと僕自身は思います。
ーストイックな求道者にありがちです。
自分の欲求にどれだけ優しく寄り添えるかですね。
ゆるベジを支える素粒水
素粒水のおかげで、何より食品に対するジャッジメントが緩みました。
加工食品などを食べた後に、「ああ、食べちゃった…。」と自責や後悔をすることはありますか?ベジタリアンであることへの良し悪しのジャッジは悲しすぎます。
外食でランチとなれば、油や調味料も氣になりました。
加工品は、買ってきたら袋ごと、パックごと、素粒水に浸けます。無毒化して食します。
外食時は素粒水スプレーを「シュッシュ!」と噴霧して食します。
身体や心への影響はほとんど感じることなくいられます。