学校に行かないとたいへんなことになる!という刷り込み

スターシード子育て人間関係

「自立への道 不登校が呼び覚ますもの」

先日、自主映画上映会に家族で行ってきました。
「自立への道 不登校が呼び覚ますもの」です。
種 蒔夫監督が2015年より、1万人に種を蒔く旅をしています。
その熱い想いが多くの人に届いています。

さて、僕たちは…

「学校へ行かないと、将来が危うい」
「きちんとした大人になるためには、学校に行かないといけない」
「みんなが学校に行くのだから、自分も行くべきだ」

と思わされているところがあります。

そういう文部省のはたらきかけも昔、あったそうですね。
義務教育を普及させる時代に、教育関係者は子どもを学校に来させようと脅しをかけてでもこのような価値観を受けつけていたそうです。

その価値観はあたかも、「普通」「多数派」になるまで続き、今の僕たちの心に刻まれてしまっています。

その上映会でお世話になった方の著書から引用しますね。

学校に来ないことは、人間としてあるまじきことである。病気と忌引き以外には、決して許されない。学校に来ないことは、たいへんなわがままである。そんなわがままを許したらその子がまともな人間でなくなり、将来が破滅する。学校に来ないなら、その子はまったくの無知無学のままであり、人とつき合う能力も育たず、常識も育たないであろう。社会の落伍者となるであろう。学校もいささかの問題はあるかもしれないが、そのくらいは我慢する力をつけなければいけない。我慢して努力することがなによりも大切なことなのだ。そうでないと、その子は社会で生きていけなくなる。

古山明男著作 「変えよう!日本の学校システム 教育に競争はいらない」

「学校に行かないとたいへんなことになる!」というのは、
各人の怖れに訴えかけたすりこみだったと言えるでしょう。

それが容易に起こるのは、今の世の中の矛盾の多いウイルス騒動を見ればうなずけるのではないでしょうか。

上映会にてわが娘のこと

上映会会場では、僕もトークセッションに参加しました。

多くの人を均一的に学校に行かせるために作りだされた価値観、
「学校に行かないとたいへんなことになる」
は、子どもたちだけではなく、親である大人を縛っていると感じました。

ちゃんと学校に行き、
ちゃんと宿題をして、
ちゃんと卒業して…

そのようなルートを辿ったとしても、幸せになることとは別次元のことです。

それを大人はなんとなくわかっているのに、それを次の世代に受け継いでしまうのだろうと感じます。

それでも、すりこまれた価値観から、

「学校へ行かないと、将来が危うい」
「きちんとした大人になるためには、学校に行かないといけない」
「学校では集団生活や規律を学ぶ場所である」

と子どもに伝えていくのだろうと思います。

そうすると、学校へ行かない子どもを持つ親自身は、
そうできない自分や子どもを責めてしまうでしょう。

立ち止まって考えてみると、

人生は学校が作るものではなくて自ら創造するもの

ということは、大人になって自分の人生を俯瞰できるようになると感じるのではないでしょうか。

「きちんとした大人」なんて幻であることも、
「平均的な大人」などいないことも。

学校は一つの選択肢でしかないと思いながら、大勢の人の価値観に呑み込まれてしまうこともしばしばあります。

娘が小学校に入ってしばらくして、

「パパ、わたし、学校やめてもいいんだからね。」

と僕に伝えてくれました。

そこから、僕は、「学校ってやめられるものなんだっけ?」と学校の制度やシステムを調べ始めたわけです。

今後、娘の「積極的不登校」は、今後、多くの子どもたちの光になるだろうと上映会であらためて思いました。

自分を縛りつけている価値観があれば癒す

子どもが学校に行かない…

多くの大人が、我が子がそのようなことになると焦り出します。

  • みんなと同じように成長して欲しい
  • せっかくの教育を受ける機会を放棄しないで欲しい
  • まわりと違うことをされるとしんどい
  • 親の言うことを聞いて欲しい(言うとおりにしてほしい)

昔、心理カウンセラーかけだしの頃、学校カウンセラーをしていましたが、
不登校は、親の協力や許容が必要なのだと感じました。

それはそうです、親が子どもを経済的に養っているわけですから。
そう思う親がほとんどです。

僕も「学校に来られるように頑張ろう」と声をかけていました。

子どもが思ったとおりに生きることが、親の保護下では、難しいのかもしれないと思うとともに、なんとなく違和感を持ったことを覚えています。

「学校って絶対だったっけ?」

その後、心理・スピリチュアル カウンセリングをするにつれて、僕たち大人は自分の感情や気持ちを大切にすることよりも、世間や一般通念に囚われていると感じる機会が増えていきました。

大人の持つ「囚われている価値観」を再選択するお手伝いをし続けています。

僕たち大人は知らないうちに、自分優先ではない価値観を刷り込まれています。
それが、人間関係・仕事・お金・子育てなどを通じて、発現します。それに不具合があるなら、あらためて立ち止まってみるのもいいでしょう。

子どもが自由に生きるためには、大人がまずは自由になる必要がある
不登校が呼び覚ますものは、大人の「自分自身の解放」であろうと感じた上映会でした。
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