ご褒美をもらうために頑張るか or 楽しんだ結果、ご褒美ももらえるか

おはようございます、潤治ですリボンP9080066.JPG
最近、寛子の元カレの話をよく聞きます。
あまりにも育ってきた環境が、夫婦お互いに違うために、そこに登場してくる友人たちも違っていて、楽しい部分や勉強になる部分、そしてほんの少しの育ちが違うために生じる嫉妬を僕は感じつつ、セキララに語り合います。(スラムダンクの三井寿の気持ちだゎ…無駄な時間を…俺は…。)
最近、寛子が通っていた歌のレッスンに僕も通い始め、音楽の楽しさを体験しています。カラオケは好きで、昔よく友人と行っていましたが、きちんと歌を習うという経験は初めてです。
小学生の頃に習い事をしていたような、懐かしく、そしてワクワクしてくる自分がいます。
“そんなことして、意味あるの?” “そんなことしなくても充分生きていけるじゃん”というもうひとりの自分の声は無視して、楽しむことを許されている自分に感謝しながら、歌っています。
その寛子の元カレは、高校時代、勉強も出来て、スポーツも万能で、ピアノも趣味で作曲などもし、今現在では、プロの方とステージに上がることもあるという “天は二物以上を与えているじゃ~ん” という状態の人だと寛子の話を聞いていて思います。


その寛子の元カレを思う時、
その人は、努力家なのか?
目標達成に対して貪欲に頑張り続けたのか?
遮二無二にぶつかっていく人なのか?

そうでもしなければ、目標は達成されないと思ってしまいます。
何かを達成するには、何かを犠牲にしなければならない
という等価交換の世界では、そう考えてしまうかもしれません。
きっと、その元カレは楽しんでいただけなんだろうと思います。
自分の好きなことを好きでいることや、楽しむ工夫、自分を試す勇気、
好きなことをする際に生じる面倒なこと…

それらをひっくるめて楽しんでいたんだろうと思います。
その姿を周りから見ると、
努力家だとか、集中力のある人だとか、才能のある人だとか
思われるのかもしれません。
最近、よく相談される内容に、燃え尽き症候群があります。
目標を設定し、それに向かって頑張り続けるが、
途中、もしくは達成した後に燃え尽きてしまうという状態です。
あんなに切望した夢なのに、達成することが義務になると
やる気がなくなってしまうという感じでしょうか。

ご褒美を設定して、そのために頑張るという価値観
が多く見受けられますが、
(高校受験・大学受験・入社試験・いろいろな資格試験…)
楽しくしていることを選択しているうちに、それを続けている結果、
ご褒美が与えられるというほうが続きますし、
燃え尽きることもないように思います。
楽しいことをしている、それだけですでに満足なのですもの。
その楽しいことを仕事にする際は、
自分のサービスに価格を設定する、とりあえず発信してみる、告知してみる、
完璧じゃなくてもやってみる…という要素には勇気が必要です。
自分のやっていること(サービスになる可能性のあるもの)
その作業自体が楽しくなくては、燃え尽きてしまいます。

なので、楽しんでいくことを最優先にしていくことが、
引き寄せ、しいてはご褒美に繋がっていく
ように思います。
ほんの少しの<自分を試してみる勇気>を出して、
人生の祝福をより受け取っていきたいと思います。
そんなことを寛子の元カレから、感じる潤治なのでした。
P.S. 楽しむことを選択し続けると想像力が豊かになるという副産物があります。
人生はうまくいくという前向きな期待感がさらに加速するように感じます。
みなさまにさらに素敵な人生が待っていることを祈りつつ。

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