「性」についてどう伝えよう?
子どもの成長を見守る中で、ふと「性」について、どう伝えたらいいのだろう?と、頭を悩ませることがあります。我が家はホームスクールなので、現在12歳の娘とは、毎日、一緒にいます。
観ている映画、ドラマ、ふとした表現など、のっぴきならない状況があり、「性」について真正面から話さざるを得ないわけです。
「性」の話は、とかくデリケートで、正面から向き合うのが難しいと感じることもあるかもしれません。しかし、人生において、「性」は、切っても切り離せない大切なテーマです。
ですので、決してタブー視するものではなく、愛とコミュニケーションを深めるための、素晴らしいツールであるという認識になり得るものなのです。
僕自身、長年カウンセリングをしてきた中で、そして一人の男性として感じてきた、「性」にまつわる大切なエッセンスを娘と分かちあっていきたいと思っています。実践中です。
子どもの「性」への興味は大歓迎!
お子さんが「赤ちゃんってどうやって生まれるの?」「男の子と女の子って、どうして体が違うの?」と、もしも「性」への興味を示すことがあったら、それは、お子さんの心が成長している大切なサインです。
我が家も、決して誤魔化さずに、真正面から、分かりやすく対応しています。
子どもの「知りたい」という純粋な気持ちを大切にすることは、性に対する健全な感覚を育む第一歩です。分からないことは、一緒に調べたり、専門の絵本を読んだりするのも楽しいです。
僕自身もそれで伝え方を教わることも多く、父親がオープンな姿勢で接することで、娘は安心して、どんなことも相談するようになりました。
男性の思考パターンや価値観も恥ずかしいのですが、娘と共有することになります。
男性の「性」への価値観を理解するということ
男性の「性」への価値観について知っておくことも、これから大きくなっていく娘にとって大切なことです。
「なるほど、そういうことなのね。」
「それで、あんなことをしてしまうのね。」
と予備知識があれば、理解も進みますし、早い段階で境界線を引くこともできます。
たとえば、男性の多くは、成長過程で、アダルトビデオや性コミックといったメディアから、性行為に関する情報やイメージを得ていることが少なくありません。
残念ながら、それらの情報の中には、性行為が「暴力」「権力」「ストレス発散」「支配欲求」といったものと結びついていたり、「オーガズム至上主義」のような、誤った認識をすりこんでしまうものも少なくありません。
これらの情報が、男性の心の中で「性行為とはこうあるべきだ」という、偏った価値観を育んでしまう可能性は大きいです。
娘には、パートナーの言動に「あれ?」と感じることがあったら、それは、彼らが、そういった誤解に基づいた「性の情報」で育まれてきた背景があるのかもしれないという視点を持てるようになっていて欲しいと思っています。
性行為は「愛の表現」のひとつ
性行為は、確かに深い愛と繋がりの表現となり得ます。肌と肌が触れ合い、心が通じ合う、素晴らしいコミュニケーションの一つです。しかし、性行為の全てが「愛」の表現であるとは限りません。
例えば、
「ただ性行為がしてみたい」「大人になった証として自慢したい」「相手をコントロールしたい」といった、自己中心的な欲求や、低次元なエネルギーから行われる性行為もあります。これらは、愛とは異なる動機で発生しているため、後に虚しさや後悔、あるいは心の傷を残してしまうことがあります。
大切なのは、性行為が、本当に「相手への愛と尊敬」に基づいているか、という心のあり方です。この視点があるかないかで、性欲求に振りまわされずにすむと僕自身、省みて思います。
次に話す「避妊」は、ただ、避妊をすればしていいという許可ではないことと心得ておく必要があります。
避妊は、相手への大切な「礼儀」・許されていることへの感謝
性行為において、避妊は、相手への大切な「礼儀」であると考えています。
社会的に責任を背負えない者同士に許されている方法という視点もあります。
妊娠という性行為の結果に対する責任を、社会的にしっかりと背負うことができる者同士だからこそ、安心して、その行為に臨むことができます。
そして、性行為の結果訪れるかもしれないトラブルを、一緒に分かち合える信頼関係があること。この責任感と信頼こそが、二人のつながりをより一層深める土台になるのです。
「心の栄養」と「身体の栄養」コミュニケーションを考える
性行為も、結局は、愛情表現の一つ、つまりコミュニケーションです。
コミュニケーションには、大きく分けて「心の栄養」と「身体の栄養」があります。
心の栄養となるコミュニケーション
これは、相手の存在価値を認め、心を育む言動や働きかけです。
例えば、
- うなづく、耳を傾ける
- 微笑む
- 褒める、慰める
- 優しい言葉で語りかける、挨拶をする
- 相手の意見や気持ちを伺う
これらは、相手の心に温かい光を灯す、大切な「心の栄養」です。
一方で、
- 勝手に物事を進める
- 無視する
- にらみつける
- あざ笑う
- 叱る、非難する、責める
といった言動は、心の栄養を削ぎ、心を傷つけてしまいます。
身体の栄養となるコミュニケーション
これは、肌の触れ合いを通して、相手に安心感や愛情を伝えるものです。
例えば、
- 優しくなでる、さする
- 温かく抱擁する
- そっと握る
- からだを支える
これらは、言葉以上に、深い安らぎと繋がりをもたらす、大切な「身体の栄養」です。
しかし、
- たたく、なぐる
- つねる、げんこつ
- 足蹴にする
- からだの自由を奪う
といった行為は、身体に痛みを与えるだけでなく、心の深い傷となって残ってしまいます。
自分自身の言動から、相手の尊厳を守っているか見直す機会になるでしょうか。
愛と尊敬に満ちたコミュニケーション
「性」は、ただの肉体的な行為ではありません。
それは、愛と尊敬に満ちたコミュニケーションの一つです。
娘には、性への優しい視点と知識と共に、愛と尊敬に基づいたコミュニケーションの大切さを伝えています。そして、僕自身、パートナーとの関係においても、心と身体の両方で「栄養」を与え合う、豊かなコミュニケーションを育んでいく機会になればと思っています。
「性」を通して、心と体が本当に繋がった時、そこに生まれるのは、かけがえのない喜びと、深い幸福感です。性を通じて、満ち足りた愛情表現をしていけるようになりたいものです。
コメント