「LOVE RIVER~愛が流れている川」の住人

ハッピーライフ

こんばんは、AQUA MIXT 潤治です。
「あじと2 cafe日びの」にて、豪雪にビビる。
豪雪だった北海道から、多摩市聖ヶ丘に戻ってきました。北海道で今、停電している地域の復旧を祈るばかりです。
北海道でのワークショップ&レッスンでは、多くの学びがありました。
提供する側だからこその学びも多く、「受身」が人生の行動パターンでありがちな僕にとって、何かを提供することで強制的に主体的にならざるを得ないというステキな一面があります。
それでも、本当に心が望むことを自ら行動するということがすこしずつでが身に付いてきたように思います。
本当は切に望みながら、神さまが見つけてくれるのを待っている…。
そんな思考癖が、僕の行動を制限することもあります。


北海道では、多くの人の厚意に甘える機会がありました。
…と同時に「遠慮をする」自分も生まれます。
相手を押しのけたり、慮らずにわがままを通すことは
お互いの関係を豊かなものにはしませんが、
相手の厚意に「遠慮する」ことも、
人との交流を滞らせてしまうきっかけになるように思います。
自分の中にある「傲慢さ」を意識し過ぎて、
「遠慮」が強くなるという一面もあります。

自分の加齢臭が匂うことを気にし過ぎてフレグランス半端ない状態ですね。
自分の体に香水をつける前に、
その加齢臭がどこから来るのか?
を見つめる勇気が必要かもしれません。
相手の厚意を受ける時に、甘えられない自分がいたら、
どうして甘えることを自分に許可しないのだろうか?
厚意を受けることで何か痛みを感じてしまうのだろうか?
厚意を受けないことで何を守っているのだろうか?

と自問してみます。
過去の記事で、「大人になると弱くなる…「迷惑かも?」症候群」とありましたが、
ひょっとしたら、自分が傷つくことを怖れているだけかもしれません。
ひとりで頑張ってきたので、そのプライドがあるのかも?
人に甘えず、頑張ってきた自分を意固地に守っているのかも?
人の厚意を受けることが、その過去を否定することになると怖れているのかも?

多くの人から厚意を受ける自分を想像してみるといいかもしれませんね。
どんな感情が浮き上がってきますか?
頑張らなくても、望めばいろいろなことが叶っていく世界の住人になりたいものです。

人々の心の中には、「愛が流れている川」 あって、
僕たちはそのほとりに住み、そこから川の流れの恩恵を受けている。
ほとりに住み、行水をしに行く人もいるが、
中には自分の池を作って、川の流れを引き込む人もいる。
その支流の大きさはその人その人の器にしたがう。
そして、また、
愛が次から次へと流れ、常に澄みきった川にすることもできるが、
愛の流れをせき止めて、澱んだ川にすることもできる。
澄みきった川にするためには、
次から次へと流れてくる愛の流れを受け容れることが大切で、
その愛の流れに執着したり、遠慮して受け容れなかったりすると川の水は澱んでいく。
僕たちはどの川にすることもできるし、
川のほとりに住みながらたまに行水するだけで良いと思うこともできる。

コメント

  1. 潤治 より:

    おきゃん♪さま
    深いですか?川だけに…。
    「遠慮」というステキな民族性が僕たちにはありますが、
    それとともに、伝える勇気であったり、自分のことを上手に表現する技術は、
    とても大切だなぁと思います。
    甘え上手は伝え上手?だったりして。
    いつもありがとう。

  2. おきゃん♪ より:

    あー、深いな~。今回もまた自分の事を言われているようで心に響いています。
    たまに友人の何気ない遠慮に「そんな事遠慮しないでもいいのに・・」と思うことがあります。
    でも自分でも同じ様な変な気の使い方をしている時があると気づかされました。
    かと言ってどこまで甘えたらいいのだろう?と考えることもあります。
    自分で判断せずにとりあえず相手に自分の求めていることを伝える勇気って必要なのかなって思いました。
    いつも気づかせてくれてありがとう。

タイトルとURLをコピーしました