一線を越えるのが怖い?パートナーシップ

理想のパートナー・運命の人

こんにちは、AQUA MIXT 潤治です。
君とふたりで歩いた道のり
先日、父親に妻である寛子の妊娠報告をしました。
結婚当初、極貧ということもあって、子供を授かろうという状況にはなりませんでした。
僕自身が父親になるということを拒んでいたせいもあります。
(それはなぜか? それは後ほど…)
寛子も当時、いろいろな葛藤を乗り越えていたようです。
→寛子の掲載記事「夜明けのレッスン」シリーズ
僕自身は、子供の頃から、父の荒れた姿を見ては、
この人のように絶対にならないと心に決めていました。
自分の感情にまかせて、母に暴力をふるい、父親としての責任を果たさずにいた父親を小学生の僕には許すことはできませんでした。
「絶対に父のような人間にはならない」 という小さな僕の大きな誓いでした。


やがて、母が家を出て、そして、父とふたりきりになりました。
母と一緒に暮らしたいと思っていたので、
不条理な父との生活に納得がいかないまま、月日を重ねました。
1度目の結婚をしたときに、
子供を授かりたいという欲求はありませんでした。
自分が父親になるというヴィジョンがもてないということもありましたが、
怖ろしい考えが、自分の中にあることに気づきます。
「父と同じようになってしまうのではないか」 という思いです。
根拠の無い幻想なのですが、
血のつながった父親と同じにように、
暴力をふるったり、感情のままに荒れたり…と、
そのような姿を想像してはゾッとしていました。
父親のことを嫌えば嫌うほど、
父親のようになってしまうのではないか?という思いは強くなっていきました。
とうとう、1度目の結婚はダメにになりました。
解散です…。
離婚をして、悲しみに暮れながらも、ホッとする自分がいたりして、嫌になりました。
父親のようにならずに済んだ…という歪んだ考えが、僕を安堵させていたわけです。
しかし、ほどなくして寛子と出会い、
そういった自分のトラウマと対峙する機会を得ます。
心の痛みを共有したり、新しい価値観をふたりで創っていくうちに、
(そのコツや考え方は「パートナーシップワークショップ」にて)
僕が嫌っていたはずの父親が、実はとても僕を愛していてくれたことに気づきます。
父は父なりの愛情表現で、僕を愛してくれていたのです。
父自身も家族を持つことに困惑し、どうしていいのか分からず、
苦しんでいたわけです。
田舎からひとりで出てきて、誰の手を借りずに頑張ってきた父が、
家族を持ち、自分自身も「愛されること」とはどういうことか分からずに、
うまく愛情を子供たちに注げない自分に困惑していたのだろうと思います。
僕に拒絶され、父はどんなに辛かっただろうと感じます。
父も離婚をして、絶望感や孤独を感じ、苦しかったはずなのに…。
彼なりの愛情表現が僕に受け容れられず、ずっとその苦しみを彼自身抱えていたはずです。
その父の姿を感じ、受け容れることがパートナーの力を借りることでできました。
夫婦お互いが持つトラウマを裁き合ったりするのではなく、
お互いの痛みを共有し、癒し合うことを選択するようになりました。
その手を離さないで
父親のようになりたくない…と思いながら、
ずっと、父を愛していた自分に気づけました。
それから、しばらくして、子供が欲しいと思えるようになったわけです。
そのことに気づけなかったら、まだ、僕は父親のようになりたくないという思いに執着するあまり、自分の人生を生きていなかったかもしれません…。
両親からの愛を信頼できる人生を歩みたいなと今は思います。

パートナーシップワークショップは
12月1日(土)「出会い編」
8日(土)「成長編」
11時~14時半 聖ヶ丘
にて開催予定

コメント

  1. 潤治 より:

    momさま
    心の傷を隠したり、否定することで痛みは一時失くなるかもしれませんが、
    その痛みを受け容れて、穏やかに過ごせればいいなと思います。
    自分を受け容れることにもなると感じます。
    お祝いのお言葉、本当にありがとうございます。
    感謝をこめて

  2. mom より:

    こんばんは。
    誰もが、色んなものを抱えて生きていて、完璧な人間なんていないですよね。
    否定する事や、拒否することは簡単だけど、自分の心がしんどい時、人を信頼する事は難しいですよね。
    少なくても、自分の事は信頼できる自分でいたいと思います。
    最期になりましたが、寛子さんが、お子さんを授かったとの事、おめでとうございます。赤ちゃんが無事に生まれることを祈っています。

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