振り返れば母がいる【すでに愛されていた編】

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
愛されている
AQUA MIXT 潤治です。
我が娘、小葉(このは)の…、
かまって欲しい、わたしのこと見ている?という正直な欲求にしびれる日々です。(いろいろな意味で…)
以前の記事、
「振り返れば母がいる【好かれるために頑張る編】」では、僕の行動をよくよく洞察していくと承認欲求が隠されていることに気づくというテーマでした。
在りし日の「母に認められたい、愛されたい。」という欲求が、
大人になった僕の中にあり、承認欲求が複雑な形で行動に現れているということでしたね。
承認欲求は大人になるほど複雑に肥大化することがあります。
何かを忘れているために…。


思えば、母からさまざまな温かい言葉をもらいました。
幼い頃、僕はいつも振り返っては、
母がいてくれて見守っていることを確かめるのでした。
「お母さん、見て!」
「お母さん、見てる?」
「お母さん、僕、できるようになったよ!」
「お母さん、僕のこと好き?」

お母さんに認めて欲しい、お母さんの愛を確かめたい…。
幼い頃、振り返れば母がいたわけです。
その絶対的な安心感は心を安定させていました。
誰にとっても「お母さん」
心の拠り所になっていた時があると思います。
しかし、子供の頃に後ろ姿を見守ってくれた「お母さん」はいなくなります。
見守り方が変わっていくだけなのですが、
子供である僕たちは離れてしまったと感じることも少なくありません。
(そのショックは無人島にひとりぼっちにされたように感じるかもしれないですね。)
いつもいつもすぐに確認できた愛が、少しの時間差が生まれてきます。
べったりと触れていた母子関係から、
お母さんは少しずつ遠くから見守ることになり、
完全に離れてしまうことだってあるかもしれません。
幼稚園・小学校・中学校・高校…と学校にいる時間は、
お母さんと離ればなれなわけです。
物理的に離れることもあれば、
赤子だった我が子が小学生になり、
手が離れていくのと同時に母親から精神的な距離を作ることもあるでしょう。
僕が小学生になった時、母におっぱいをおねだりした際、
「もう、小学生でしょ?」とやんわりと拒まれた時がありました。
その後、何か心がざわついたことを覚えています。
寂しさや恥ずかしさ…が入り交じったような。
そのような気持ちを母に感じることがそれ以降多くなりました。
子供心にそれはとてもショックだったのですが、
大人になって思い返すと、
それは母の愛だったのかもしれないと思うようになりました。
わたしだけに甘えなくても、同じような安心感や喜びは、
いろいろな経験や人との出逢いから感じることができるのよ。

…ということでしょうか。
「あなたは自由で、
この世を生きる力を持っていますよ。」

と認めてくれる、母の最大の愛だったのかもしれませんね。
いつも不安げに後ろを振り返っていた僕に、
あなたを見守ってくれる人は、わたしだけじゃない
巣立たせてくれたわけです。
そういう母の愛を時間差はありましたが、
今は感じることができています。
見守ってくれる人、愛してくれる人、僕を受け容れている人…
絶対的な安心感をくれる人は、
ありがたいことに母だけではなかったのでした。
あなたはわたしから自由になって、
もっと多くの人に愛を感じたり、愛を与えたりするのよ。

無人島にひとりぼっちになったような気持ちから、
1度はその愛を信頼できなかった時もありましたが、
すでに愛されていたことに気づけなかっただけなんだと、
今さらながら思う日々なのでした。
どんな時でも、愛されていることに気づける自分でいたいですね…。
遠い日の自分を思い返しては、手を差し伸べるのでした。

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