いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
先日は、「母乳育児 ~母乳とボクと、時々、ミルク~」の
記事にたくさんの反響があり、恐縮です。
正解のない世界で答えを探して彷徨うよりも、
バカボンのパパのように、「これでいいのだ!」と
自分を信じて過ごしたいなと思います。
それでも、母乳育児とどう向き合うかで生まれる副産物のようなものを見つめてシェアすることができれば幸いです。
寛子の授乳にうっとりとしてその安心感にひたっている我が娘 小葉(このは)を見ていると、男性にはうかがいしれない何か高尚な世界が存在するような気持ちになります。
男女の役割は確実にあり、お互いがその領域を尊敬しあえると
男女の間に起こるどっちがえらい?的な喧嘩もなくなるように思います。
僕が幼い頃、父は…、
誰のおかげで飯が食えていると思っているんだ?という
ベタなセリフをよく母にぶつけていました。
父と母のふたりで家族を運営していたのだから、
ただ、役割が違っただけ…なのに、
ずいぶん父もえらく出たものだと今では思います。
きっと、自分の存在価値がわからず、
稼いでいる自分に存在価値を見いだそうとしていたのかもしれません。
よく、父が給料がアップした話を嬉しそうにしていたことを思い出します。
俺が家族を養っているんだ!
という自負が彼の支えというわけです。
母乳育児で問題になるのは、
その量がはたして赤ちゃんに足りているかどうか…です。
赤ちゃんはおっぱいを直に吸っていますから、
充分に出ているかどうかは、お母さんからは分かりにくいようです。
おっぱい足りているのかな?
おっぱいが不足して赤ちゃんは我慢しているのでは?
足りていないから夜泣きするのでは?
あまりおしっこしていないけど、おっぱい出ているのかしら?
あまり出ていないから、ずっと吸い続けるのかしら?
そんな人知れぬ不安を抱えている女性も少なくないようです。
母親としての存在価値を見いだせない不安もあるかもしれません。
その不安は自身で創り出した幻と感じます。
男性視点だと、おっぱいは足りているかどうかではなく、
お母さんと赤ちゃんの対話のひとつだと感じます。
体調や時間の都合、仕事の都合によってミルクを与えても良いし、
母乳を与えても良いというとらえ方なら、
創り出した幻に惑わされずにすむかもしれません。
そして、新しい命が育っていく中、
周りの人たちも不安だったり、
お母さんを心配する気持ちでいっぱいなのだと感じます。
授乳しても泣きやまない赤ちゃんを見れば、
「おっぱい足りているかしらね?」
「おっぱい出ているのか?」
とお母さんに言ってしまうこともあるかもしれません。
足りている?足りていない?問題で、
心を痛めているのは、お母さん自身です。
僕の父がリストラされ、家計が苦しくなったとき、
母が何気なく、「生活していくのに、お給料足りる?」と父に相談した時、
父が急に烈火の如く怒ったのを覚えています。
尋常じゃない怒り方に怖くなったものです。
「あなたのお給料で足りる?」
「おっぱい足りている?」
何気ない相手を心配する一言が、
相手の存在価値を揺るがすこともありますね。
僕の母は父を責めたのではなく、
何か協力できることはないかと思っただけであり、
ひょっとしたら、「おっぱい足りている?」という言葉も、
「僕(わたし)に何かできることはない?」という気持ちが
上手に伝わらなかっただけかもしれません。
言葉の向こう側、信頼したいですね。