
「不登校」という言葉の先にある自由
僕たちは長い間、学校へ行かない状態を「不登校」という言葉で括ってきました。しかし、我が家では娘が小学校3年生の時に、自らの意志で学校を「自主的に卒業」しました。
それ以来、僕たち家族は「学校へ行けない」のではなく、主体的に「学校を選択しない学び方」を実践するホームスクーラー(家庭学習者)としての道を歩んでいます 。
この選択をした時、僕の中にあったのは、世間が作り出した「親とはこうあるべき」「子どもは学校に行くのが当たり前」という強固な常識(ジャッジメント)からの解放でした 。多数派の価値観という重い荷物を下ろしたとき、親子関係には驚くほど健やかな「楽さ」と「ゆとり」が生まれました。
「やらされる学び」から「湧き上がる学び」へ
義務教育の枠組みの中では、どうしても「決められた時間に、決められた内容を、効率よく覚える」ことが求められます。しかし、そこには時に、個々の「知的好奇心」への無関心が潜んでいます。学ぶことにおいて、やらされることに疲れてしまっては、本末転倒と僕自身思います。
学校というシステムから離れたことで、娘の知的好奇心は全開になりました 。先日、面積の計算を解こうとした際、「あ、ここで九九が必要なんだ」と彼女自身が気づいたエピソードがあります。
これは、誰かに強制されて暗記するのとは全く異なる体験と僕自身思います。「知りたい」という切実な欲求が、学びを「自分事」へと変えていきます。知ることの楽しさが湧き起こっていきます。
親である僕も想像もしなかったようなユニークな視点や解き方を見せる彼女の姿は、まさに生命が持つ純粋な輝きそのものに感じます。
人生を豊かにする「自分で決める力」
僕がこの「学校を選択しない学び方」において、最も価値があると感じているのは、「自分の人生を自分で決める能力(意思決定力)」が養われることです 。
ホームスクーラーの朝は、「さあ、今日は何をしようか?」という問いから始まります 。誰かにスケジュールを管理されるのではなく、自分の時間をどう使い、何を学ぶかを自ら選択し、その結果に責任を持つわけです。誰かのせいにすることもなく、自分の感情の扱い方も上手になります。
この「自己決定」の積み重ねこそが、大人になって社会に出たとき、どんな環境でも自分を失わずに幸せを見出すための、揺るぎない土台となります。
現代社会では、他人の期待(要求)に応えることに慣れすぎてしまい、自分の「したいこと」が分からなくなっている大人が少なくありません。
ムーミンのスナフキンの言葉に「自分のしたいことを自分で知っている」という趣旨のものがありますが、これは実は非常に深遠な言葉です。
あなたは最近、「自分の人生を自分で決めた」と感じたことはどんな瞬間でしたか?どんな氣持ちでしたか?
自分を理解し、自分に優しくなり、そしてその優しさを他者へとお裾分けできる。そんな「自尊心」の根っこは、自分の人生を自分で決めるという自由の中でこそ深く育つと感じています。
失敗と遠回りを「祝福」する心のゆとり
家庭学習には、圧倒的な「時間のゆとり」があります。このゆとりは、失敗や遠回りを「無駄」ではなく「豊かなプロセス」として味わうことを可能にしてくれます。
例えば、父娘2人で買い物に出かけて、途中で財布を忘れたことに気づいたとします。時間がなければ「なんで忘れたの!」と自分や相手を責めてしまうかもしれません。しかし、ゆとりがあれば「じゃあ、戻りながらあそこの綺麗な銀杏並木を楽しもうか」と笑い合えます。そのような日々が与えてくれる恩恵を今日も生きています。
ー学びも同じと考えます。
安心安全な家庭環境(セーフティゾーン)であれば、誰かにジャッジされる恐怖なしに、いくらでも間違えることができます。
不安な状況で脳を萎縮させながら詰め込むのではなく、リラックスした状態で「わからない」を楽しみ、試行錯誤を繰り返す。
この心理的回復力(レジリエンス)こそが、未知の時代を生き抜く真の力になると信じています。
境界線を整え、共に育つ旅
もちろん、多数派と異なる道を選ぶことには、世間からの「学校に行かないと大変なことになるよ」という脅しに対する不安がつきまといます。
しかし、僕は心理学やスピリチュアリティ、そしてオラクルカードなどを通じた対話から、コミュニケーションを「戦い」ではなく、お互いの怖れをケアする場にしていきたいと考えています 。
相手の不安を愛で包み込みながら、自分たちの確固たる「心の境界線」を守る。
定期的なカウンセリングのサービスでもお伝えしているように、小さな違和感を放置せず、その都度整えていくことで、僕たちは常に自分本来の人生の流れを保つことができます。
空白(不安)を「希望」で埋める人へ
未来はどうなるか誰にもわかりません。その「どうなるかわからない空白」を、僕たちは不安で埋めることもできれば、希望で埋めることもできます。
「学校を選択しない」という決断は、単なる教育手段の変更ではなく、親子が対等な人間として、お互いを深く知り、信頼し合いながら共に成長していく旅路のようなものです。
娘が瞳を輝かせて「やってみたい!」「楽しかったぁ〜!」「嬉しいね。」と言うその瞬間。それこそが宇宙からの最高の贈り物であり、何ものにも代えがたい愛の証なのです。
これからも僕たちは、この清々しい自由な学びの風を楽しみながら、一歩ずつ歩んでいこうと思います。





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