「本当は何がしたいのだろう?」
「僕の魂は何を望んでいる?」
「他人の評価も氣にしないくらい没頭できるものはある?」
「今が幸せと思えるような時間を過ごしている?」
僕たちの「自由意志」を発動させるために、質問や問いかけは大切です。
自分らしく、自分の人生を生きることが当たり前ではないとしたら、それを妨げている、邪魔しているものは何でしょうか?
僕自身は、そのはマイノリティ(少数派)への怖れだと思っています。
管理され、同一の目的を持って、ある一定の期間を僕たちは過ごすことを余儀なくされます。
「義務教育」ですね。
皆がそうしているからという判断、周りと違うことを親にたしなめられたり、
階段のように思って進学したり、落ちこぼれになると恐怖心を植え付けられたり、
いつも間にか、「他人と違うこと=自分であること」に怖れを感じるようになりました。
おめでとうございます!
僕自身もすっかり「調教済み」の身体です。
それまでも、自分がどうしたいかで人生を生きてきたつもりでしたが、
多くは他人にどう見られたいか、損か得か、金銭的な尺度、不快を避けるため、
流行に遅れたくない、批判されない、みんながそうしているから、
面倒なことになるのが嫌、という理由に反応していただけのように思いかえします。
なんてったって、「調教済み」ですから。
アクセスコンシャスネス(R)の世界では、
僕たちはひとりひとりが無限の存在だそうです。
エンジェルセラピー(R)を学び、オラクルカードを日常的に引くようになり、そのメッセージは、
「僕たちの人生はいつも想像を超えた祝福を用意している」というものでした。
また、本田健さんの本を擦り切れるほど読んでいた10数年前、
「自分の人生を生きると豊かさはついてくる」という言葉に痛く共感しました。
無限の存在で、自分の想像を超えた祝福を受け取り、豊かで自分らしい人生を生きる!
どうでしょう?
どんな感情が動きますか?
また、
自分なんてこんなもの、この後の人生は予測がつく。できるだけ災難は避けたい。
無理なものは無理で、傷つくくらいなら、面倒はできるだけないほうがいい。
同じく、どうでしょう?
どんな感情が動きますか?
僕は後者の方がイメージしやすいです。
ややもすれば、いつも後者をイメージする思考パターンを
僕は全身に刻んでしまっているように思います。
ありがたいことに、先の数々の学びのおかげで、
自分の直感や魂が望んでいるだろう選択、行動をしてこれたように感じています。
最近では「問いかけの魔法」を使うことも増えました。
天使への「質問、お願い」も使います。
マイノリティの怖れ、それは「人生を変えられる」と思っていることです。
そこには、自分の無限の可能性、想像を超えた祝福があること、
豊かさを信じ続けられるか問われると僕自身は思います。
選択と創造を繰り返すわけです。
しかし、残念ですが、調教済みの僕にはこのような感覚がありました。
- 自分でハンドルを握るより、助手席に座っていたい
- 個人のフリー旅行、バックパッカーより、ツアーで自由時間が多いほうが楽
- 自宅浪人より予備校に通っていたほうが勉強できる
- 自分のタイミングで就職するより、新卒で就活したほうが楽
- 同僚や上司も我慢しているのだから、この職場に居続けたほうが?
- みんながやっているやり方で起業するほうが安全?
ある程度の管理下で、
選択しているつもり、創造しているつもりになっているほうが楽かもしれません。(僕だけ?)
「人生は自分で変えることができる」が、
とても楽しいことだと、夢中になってハンドルを握りたい、自分で計画したい、挑戦したい、
と思えるかはある程度の地道な実践が必要と思っています。
(そのあたりは、ライフパーパス個人レッスンで共有していきたいところです。)
幼い頃から学校にいき、管理され、用意された選択肢を選び、
いつの間にか他人と違うことを怖れ、情報を過信し、
洗脳された産物が僕たちのように思います。(僕だけ?)
マイノリティ(少数派)への怖れはなるべくして植えつけられたもののように僕自身は思います。
次回からは、日常的に襲ってくる「マイノリティへの怖れ」を扱っていきます。