30代前半、僕は人生の岐路に立っていました。
自尊心は跡形もなく崩れ去り、自己信頼は底値安定でした。
未来への不安はその状況を後押しするかのように増幅し、
何かを変えないといけないのでは?と焦りを感じていました。
そのような時、
「地獄の特訓」と呼ばれるその合宿に、
多くの人が変化していくと言われる「地獄の特訓」に行けば、
振り返って思えば、僕の精神状態は「他人任せ」であり、「
ある日、誰かがやってきて、僕の人生を変えてくれる…
そのような人生への姿勢だったことを否めません。
合宿では、いきなり「自己否定」を促すワークを行いました。
「自分の成功を阻んでいるものは何だ?」
自分のダメだと思っているところを絞り出し、
誤魔化すこと、嘘をつくこと、取り繕うこと、
恥ずかしい自分をさらけ出し、それを共有し合い、励まし合い、
自己開示のことを「ダイブ(飛び込み)する」
「さあ、俺たちが見守っているから、正直に告白するんだ!大丈夫!おまえならやれる!」
というような精神状態で、その場には一体感がありました。
さて、その一体感、仲間意識、ワンネスを味わって間もなくして合宿は終わりました。
そして、日常に戻ると僕は単なる「
そのことを認めたくないために、その合宿での自分や「
そのやりきれない感覚、自己肯定感を求めて、
ただ、
バラバラに散らかった心はなかなか修復するには時間がかかりました。
たしかに今の自分を知るために「未知の扉」
しかしながら、それは合宿に行かずとも、
自分を境地に立たさなくても、
- 近所の人に出会ったら、自分から挨拶をして世辞を言う
- 電車の中などの公共の場で率先して困っている人に声をかける
- 両親や兄弟とのわだかまりは進んで解消する、自分から悪くなくても謝る
- 先延ばしにしていた「やりたいこと」に今すぐ取り掛かる
- 後回しにしていた掃除や雑務をする
- 好きな人に好きという気持ちや感謝を伝える
- 何もない時間(瞑想や散歩に使えるような時間)を、自分で創り出す
などなど、
つい、テレビを見る、仕事に追われる、忙しい・
そうして溜まりに溜まった「自ら育んだ停滞感」や反転しての「
僕はそうでした。
日常生活でのダイブに慣れると、
発散することも、背水の陣をしくことも、浪費することも、
自分の中を整理して癒すこと、
スピリチュアルカウンセリングやスピリチュアルコーチングはその
未知の扉は、日常の中にいくらでもあります。ナビゲーションはAQUAMIXTまで♡