親から愛されたと思える人は幸せです。
しかし、親から愛されなかったと思っている人も、自分自身の「愛し方」を顧みた時に「親に愛されていた」ことに氣付くことが親子関係(インナーチャイルドも含む)のカウンセリングをしていて思います。
どういうことかというと、今、僕たちが感じること、考えること、は過去の経験や教育に大きく影響されているということです。しかも、影響力の大きかった両親の「それ」を自分のものとして生きていることが多々あります。
では、前回に続き、「親の愛」について書いていきたいと思います。
お付き合いいただいてもいいですか?
「親に倣った『愛し方』」と言われて、
あなたはどのような愛情表現をイメージしますか?
「親に倣った『愛し方』」と言われて、あなたはどのような愛情表現をイメージしますか?
僕自身は、
「自分だけが娘を独占したい、可愛がりたい、自分の影響下で成長して欲しい」
という娘に対する気持ちを思い浮かべます。
ずいぶんと独占欲が強い感覚ですね。(怖いです…)
思い返すと、これに似た感覚は学生の頃にも体験していました。
当時、お付き合いしていた彼女がいました。
彼女はとても社交的な人で、友達もたくさんいました。
そのような彼女の天真爛漫さが眩しくもあり、どこかで嫉妬もしていました。
その彼女がサークルの先輩と楽しそうに話しているのを目撃することも度々あり、(当然ですね…)その度に、彼女に言いたいけど言えない思いが湧き起こってくるのでした。
その思いは募りに募り、ついには言ってしまいました。
その日もサークルの先輩と仲良く話し、笑いながら僕のところに来て先輩の楽しい話をしてくれる彼女に向かって不機嫌な僕は、
「僕という彼氏がいるのに、他の男性と話すなよ。」
と、ダサい一言を発してしまったわけです。
僕は彼女を独占しかったし、彼女にとってみれば「あなただけ」という思いを僕に本当は伝えていたのかも知れません。
そして、僕は、その思いを受け取らずにいながら、彼女から僕の喉の渇きを癒すものを奪おうと必死だったのでした。
自分の投げるボールは捕って欲しいのに、
相手が投げたい場所にミットを構えない…
残念ながら、僕の独占欲は「コレクター」(後味の悪い1965年の映画)のようなものであり、彼女という人格を尊重する前に、僕の中の癒されていない感情が僕を突き動かしていたのでした。
「愛して欲しい、僕が納得する形で。」
「愛したい、僕の愛し方で。」
僕は彼女を尊重し、愛していたわけではなく、僕を際限なく癒し続けてくれる彼女という存在を求めていたわけですね。
僕の愛し方は、その人を「所有したい」という動機からなります。
思えば、当時の彼女が何を考えているのか、何を求めているのか、感じているのか、といったことを話し合ったことはあまりなく、果てしなく僕の「勝手読み」「思い込み」による一方的な「愛情表現」だったように思います。
それは、僕の両親の「愛情表現」と似ていました。
両親がしているように、その両親の愛が正しいと思うように、その「愛情表現」をいつの間にか模倣しているのだと省みることもしばしばありました。
- 父が勝手に選ぶ僕への誕生日プレゼント
- 母の「あなたのためを思って…」という押しつける想い
- 父の好みの味付けを振る舞ってくれる手作りご飯
- 父の思い込みからなる息子への心配
- いつまでも「オレの息子」という感覚
いつも「わかっていないなぁ…」とため息をつきながら、親の愛情表現を思っていました。
愛情表現は、相手とのすり合わせで創り上げていくもの…と今では思います。