「親の愛」シリーズ 最終回〜受け取った「愛」を再選択する時が来る

インナーチャイルド人間関係

親から愛されたと思える人は幸せです。

しかし、親から愛されなかったと思っている人も、自分自身の「愛し方」を顧みた時に「親に愛されていた」ことに氣付くことが親子関係(インナーチャイルドも含む)のカウンセリングをしていて思います。

どういうことかというと、今、僕たちが感じること、考えること、は過去の経験や教育に大きく影響されているということです。しかも、影響力の大きかった両親の「それ」を自分のものとして生きていることが多々あります。

今、その受け取った「愛」を再選択する時が来ているのかもしれません。

わたしにも、あなたにも。

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今回で最終回。「親の愛」について書いていきたいと思います。
お付き合いいただいてもいいですか?

親にどんなふうに愛され、それに応えてきたか…

いつの間にか、親の愛を受け取り、それに倣って表現している自分…
それゆえに、そのルーツの理解と癒しが、さらに豊かな愛情表現になっていくと信じています。

親にどんなふうに愛され、それに応えてきたか…この機会に振り返ってみるといいかもしれません。

さて、

愛情表現は、相手とのすり合わせで創り上げていくもの…と今では思いますが、ときおり見せる「両親からの愛をルーツにしたもの」があります。

その愛情表現が、

「自分だけがその人を独占したい、可愛がりたい、自分の影響下で成長して欲しい」

この思いはある人の影響でした。

僕の父は僕を溺愛してくれました。

僕自身、父には母と仲良く暮らしてくれることを僕は望んでいました。
残念ながら、僕のその希望を叶えることはなく、母とは不仲で暴力を振るう人でした。

ただただ、彼は自分が与えたい愛情を母にも不器用に与え続けていました。
それに応えない母は、攻撃の対象でした。

父の愛情表現は、喉が渇いてる僕に、「お腹が減っているだろう?」とビスケットを渡すような愛情でした。美味しいビスケットだから、と僕の口に押し込み、口の水分を奪います。

彼にとっては、

「自分の支配下において息子を幸せにすること」

を愛と思って表現し続けました。

「わたしは、わたしをどう愛し、他人をどう愛せるか?」
「わたし以外の人は、どのような愛を欲しているか?」

父が僕に強いていた「大事にしたい」という思いは、父自身の癒されていない思い「大事にされたかった」というものでした。

心理学では「投影」と言われますね。

それは父が成し遂げられなかった痛みでもあります。

例えば、

野球選手を目指した父が息子に野球を強いるのと同じ理屈でしょうか。
それは愛のひとつの形ですが、子どもは反発したくなります。

自分と同じような目に遭わせたくないという親の愛も、子どもかららすると大きなお世話である時があります。

「いやぁ〜、やっぱり、そうなるでしょ?言ったじゃーん!」
っていうものですね…(苦笑)。

むしろ、相手はどうなるか信頼して任せて欲しいかもしれませんね。

父の愛はその父親(祖父)が彼に何もしてあげなかったことに由来しています。

僕の父はとても愛を求めながらも子どもの頃からそれを手に入れることが出来なかったのだろうと思います。

だからこそ、自分を救うためにも息子の僕に想いを投影し、自分の支配下で幸せにしてあげたかったわけです。

その彼の痛みを知ることができて、今現在、父にはとても感謝しています。
僕の生きる人生で幸せになることを僕は自分本位で実現させていくつもりです。

父の愛情には感謝していますが、愛の形は歪んでいました。
父が息子である僕を愛していたことは確かなことだと感じます。

その愛を認めることが僕自身の娘に対する思いがフラットになっていくのが分かります。
何か偏った思いは、過去の癒されていない感情から起こっているかもしれません。

子育ては親の心育てと感じる今日この頃…

自分以外の人とのコミュニケーションは自分を育てる機会を与えてくれますね。

「わたしは、わたしをどう愛し、他人をどう愛せるか?」
「わたし以外の人は、どのような愛を欲しているか?」

に想いを馳せる「ゆとり」ができました。

あなたはどうでしたか?

「親の愛」シリーズ、お付き合い頂き、本当にありがとうございました。

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