マスターは東儀 宗介(とうぎ そうすけ)、かつて天使だった頃の名は、メネフィール (Menephiel)。
仕事帰りや週末に通う常連OKは、小鳥遊 紬(たかなし つむぎ)、28歳。中堅デザイン事務所のグラフィックデザイナー。
アンティークの振り子時計が、静かに時を刻む『刻詠珈琲店』。棚に並ぶ古書から漂う紙の匂いと、その場で煎り、挽きたてのコーヒーの香りが店内を満たしている。仕事帰りの紬が、いつものカウンター席に腰を下ろすと、宗介は何も言わずに彼女のためのモカマタリを淹れ始めた。
「宗介さん、また、質問があるんですけど……。」
「今日もお疲れさまでした。お待ちしておりました。どうぞ、今日はモカマタリです。」
湯気の立つカップが、静かに紬の前に置かれた。
「この前、直感を信じるって教えてもらったんですけど、カードの絵柄って、どこを見ればいいんでしょう? 全体を見るのか、特定の場所に注目するのか……よく分からなくて。」
宗介はゆっくりと顔を上げて、紬のほうを向いた。
「……カードを引いた時、最初に紬さんの目に飛び込んでくるものは何ですか?」
「えっと……色とか、人物の表情とか、そういうのがパッと目に入ってきます。」
「そうですよね、それです。」
宗介は静かに頷いた。
「最初に目に飛び込んできたもの。それが、紬さんの心がなんとなくで惹かれる、注目するといい、大切なサインだと思いますよ。」
彼は店内を見回すような仕草をして、また、紬のほうを向いた。
「このカフェに入った時も同じなんじゃあないでしょうか?窓から差し込む光、カウンターの花、古い時計…最初に心に残るものがあって…。」
「確かに!でも、それにどんな意味があるんですか?」
「意味は…紬さんがそこから何を感じるか、ですね。」
宗介はカウンターを拭きながら続けた。
「たとえば、赤い色に目が留まったとしますよね?その赤を『情熱』と感じるか、『警告』と感じるか…同じ色でも、その時の心の状態で感じ方は変わります。」
「私の感じ方が、メッセージになるんですね」
「そうです。紬さん、覚えていますか?カードは心を映す鏡ですもの。」
宗介は古い万年筆を手に取り、くるりと回した。
「絵の中の人物が悲しそうに見えたなら、もしかしたら紬さんの心が今、何かを悲しんでいるのかもしれない。木々が力強く見えたなら、成長への願いがあるのかもしれない。どうでしょう?」
「なるほど……私が感じたことが、そのまま心の声になるってことですね。」
「素敵な捉え方ですね。頭で分析しようとせず、まず心を空にしてから、紬さん自身が何を感じるか、受け取ってみるといいですよ。」
紬はカードを取り出し、じっと見つめた。
「でも、宗介さん、カードの絵がごちゃごちゃしてて、どこを見ればいいか分からない時もありますよ。」
「そういう時は、一番気になる『部分』だけでいいと思います。」
宗介は棚のアンティーク時計を指さした。
「この時計も、全体を見なくても……文字盤の傷一つ、針の形一つに、物語が宿っています。カードも同じです。小さな鳥、花びら一枚、人物の持つアイテムなど、そのような小さな部分に、今必要なメッセージが隠れていることがあります。」
「小さなものの中に、大きな物語があるということですね。」
宗介は窓の外を見つめた。
「だから、紬さんの心が『何か気になる』と感じた、その小さな光に目を向けてみてください。なんとなく気になるってことは、そこにメッセージがあるということですから。」
「カードを見るのが、もっと楽しみになってきました!」
紬は、宗介の質問に答えているうちに、自分で答えを見つけられることが嬉しかった。
「そうですよ!紬さん、好奇心を持てるって、素晴らしいですね。僕も見習いたいです。」
宗介の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「宗介さんの博識にわたしも近付きたいです。今日も美味しいコーヒーが飲めました。ありがとうございます!」
夕暮れの光が、カードとコーヒーカップを優しく照らしている。
紬は新しい視点でカードと向き合う楽しさを、心に刻んでいた。
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