マスターは東儀 宗介(とうぎ そうすけ)、かつて天使だった頃の名は、メネフィール (Menephiel)。
仕事帰りや週末に通う常連OKは、小鳥遊 紬(たかなし つむぎ)、28歳。中堅デザイン事務所のグラフィックデザイナー。
雨音が窓を優しく叩く平日の夕方、『刻詠珈琲店』の店内はいつにも増して落ち着いた雰囲気に包まれていた。
アンティークのランプが温かな光を灯し、コーヒーの生豆を煎る音が静寂を心地よく破る。
紬は濡れた傘を店の入り口でしっかりと畳み、少し息を弾ませながらカウンター席に向かった。宗介は振り返ることなく、既に、紬のためのカップを用意していた。
「お疲れさまです、宗介さん。今日は雨がすごくて…。濡れちゃいました。」
「おかえりなさい。はい、タオル。上着が濡れちゃっていますよ。今、温かいものをお出ししますね。」
宗介は手慣れた動作でミルクパンを火にかけ始めた。
ー今日はホットチョコレートのようだ。
「実は、カードのことでまた質問があるんです。」
紬はカバンからオラクルカードを取り出しながら言った。
「昨日、『浄化は毎回じゃなくていい』って教えてもらったじゃないですか?でも、じゃあ実際どのくらいの頻度でやればいいのか、具体的に知りたくて。」
宗介はココアパウダーを丁寧にふりながら答えた。
「なるほど。確かに『必要な時に』と言われても、判断が難しいですよね。」
「そうなんです!」紬は身を乗り出した。
「例えば、毎日カードを引いてる人と、週に一回だけの人だと、浄化の頻度も変わりますよね?」
「ええ、その通りですね。」
宗介は紬の前にホットチョコレートを置いた。表面には小さなマシュマロが二つ浮いている。
「では、紬さんは、どのくらいの頻度でカードを使いたいと思っていますか?」
「えーっと…。」紬は考えながらマシュマロをスプーンでつついた。
「できれば、毎朝、今日一日のアドバイスをもらいたいなって思ってます。あと、何か悩みがある時とか、大事な決断をする時とか…。」
「なるほど、それでしたら。心を落ち着けるために、リーディング前に利き手ではないほうの手でカードの束をもち、利き手で束をノックするように軽く叩いて浄化するという、一般的な方法で十分だと思いますよ。」
宗介は静かに微笑んだ。
「お香やクリスタルを使う浄化なら、月に一回から二回程度で十分だと思います。」
「月に一、二回?意外と少ないんですね。」
「日常的に愛情を持って使っている限り、カードはそれほど重たいエネルギーにはなりません。」
宗介は穏やかに説明した。
「むしろ、紬さんとの信頼関係が深まることで、より良いメッセージを届けてくれるようになります。浄化にそれほど神経質にならなくても大丈夫ですよ。」
紬はホットチョコレートを一口飲んで、ほっと息をついた。
「でも、どうやって『今は浄化が必要かな』って判断すればいいんですか?」
宗介は少し考えてから答えた。
「そうですね…。いくつかのサインがあると思います。まず、カードから得るメッセージが、なんとなく曖昧に感じる時。」
「曖昧…?」
「はい、例えば、いつもならピンとくるカードが、『なんのことだろう?』と首をかしげるような感じになってしまう時ですね。」
紬は頷きながら聞いていた。
「それから、同じようなカードが出続けても腑に落ちない時も、浄化のサインかもしれません。」
「あー、なるほど、それはありそうです。」
「カードがうまく混ざっていないということよりも、エネルギー的に停滞している可能性もあります。」宗介はゆっくりと続けた。
そして、店の奥から、小さなカレンダーを持ってきた。手作りのような、シンプルなデザインだ。
「わたしのお客さんの中には、満月の日に浄化をする方もいらっしゃいます。」
「満月?」
「月に一回、必ず満月の日がやってきますよね?その日をカードの浄化日と決めておけば、忘れることもありませんし、ちょうど良い頻度になります。」
紬は興味深そうにカレンダーを見つめた。
「なるほど、それなら覚えやすいですね。満月って、なにか特別な意味があるんですか?」
「満月は、満ちて手放すことを象徴する日です。溜まった古いエネルギーをリセットするのに適したタイミングとされています。」
宗介の説明に、紬は「へえー」と感心した。
「でも、もちろんですが、満月にこだわる必要はありませんよ。」東儀は付け加えた。
「大切なのは、紬さんが『そろそろかな?』と感じるタイミングです。」
「私が感じるタイミング…?」
「ええ、そうです。例えば、月末にお部屋の掃除をする時に、一緒にカードの浄化もする。そんな感じでも良いんです。」
紬は納得したような表情を浮かべた。
「確かに、お部屋の掃除と一緒なら忘れませんね。」
「それから…」宗介は続けた。
「季節の変わり目も良いタイミングです。春夏秋冬、それぞれの季節に合わせて、カードも新しい気持ちでリセットしてあげるとか。」
「年に四回くらいってことですか?」
「はい。それでも十分だと思います。」
紬はホットチョコレートを飲みながら考えていた。
「でも、宗介さんは毎日たくさんのお客さんのためにカードを使ってますよね?その場合はどうなんですか?」
宗介は少し考えてから答えた。
「わたしの場合は、週に一回程度でしょうか。特に、重い悩みを抱えたお客さんのリーディングをした後は、その日のうちに浄化することもあります。」
「やっぱり、使用頻度や内容によって変わるんですね。」
「そうですね。ただし…、」宗介は重要なことを付け加えた。
「頻度よりも大切なのは、浄化に込める気持ちです。」
「気持ち?」
「はい、『いつもありがとう』『これからもよろしくね』という感謝と愛情の気持ちです。それがあれば、月に一回でも十分に効果的な浄化になりますよ。」
紬は温かい気持ちになって、カードの箱を優しく撫でた。
「なんだか、カードとの関係性も大切なんですね。」
「まさにその通りです。」宗介は微笑んだ。
「カードは、紬さんとの信頼関係で力を発揮します。愛情を持って接していれば、しっかりと繋がりが出来ていますから、そう頻繁に浄化する必要はありません。良きパートナーとして傍に置いてあげてください。」
雨音が少し弱くなってきた。紬は窓の外を見ながら言った。
「じゃあ、とりあえず月に一回、お部屋の掃除と一緒にカードの浄化をするって決めてみます。」
「それは良いアイデアですね。」
「そして、なんとなく『腑に落ちないな』って感じた時は、その都度浄化してあげることにします。」
「素晴らしい。」東儀は満足そうに頷いた。
「それだけで、カードとの繋がりは長く良い状態を保ってくれますよ。」
紬は安心したような表情で、最後のホットチョコレートを飲み干した。
「ありがとうございます、宗介さん。これで安心してカードライフを楽しめそうです。」
「どういたしまして。カードと良い関係を築いてくださいね。紬さんなら大丈夫です。」
宗介の優しい言葉に、紬は嬉しそうに頷いた。
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