「みんな違って、みんないい」だけじゃない?心の奥にあるもう一つの声

人間関係才能開花
潤治
潤治

長年、心理カウンセラーとして、

そして、スピリチュアルな視点からも、

人々の心の声に耳を傾けてきました。
その中で、自分自身も氣付かされるのです。

寛子
寛子

わたしたちの心の奥底には

まるでコインの裏表のような

ふたつの少し不思議な願いが潜んでいます。

潤治
潤治

ひとつは、
「何かと何かを分けたい」
「自分と違うものを区別したい」

という氣持ち。
もうひとつは、
「自分は他の誰とも違う、特別な存在でありたい」
という願いです。

今回の記事では、このふたつの願いについて、少し深く、優しい氣持ちで一緒に考えていきます。

 

人はなぜ「違い」を見つけたいのだろう

心理学用語で「内集団バイアス」という言葉があります。

これは、自分が属するグループの人たちを、他のグループの人たちよりも好意的に見てしまう心の働きのことです。

わたしたちは、無意識のうちに、「わたしたち」と「わたしたち以外」という線引きをして、安心感を得ようとする心理的傾向があります。

太古の昔から、人間は群れで生きることで、危険から身を守ってきました。自分たちの仲間と、そうでないものを区別することは、生き残るために必要な本能だったのかもしれませんね。

ですから、自分の周りに危険がいっぱいだと思えば思うほど、「違い」に敏感になるのだと言えるでしょうか。この世界で生きていくための、大切な知恵とも言えます。

しかしながら、この「違い」を見つける心が、いき過ぎると、人を傷つける「差別」へと繋がってしまうことがあります。排他的になりやすいとしたら、それはこの世界をとても怖い場所だと思っているからなのかもしれません。

人はなぜ「特別」でありたい?承認欲求と差別化されたい個性の心理

その一方で、わたしたちは、誰もが、「自分は他の誰とも違う、特別な存在でありたい」と願っているのではないでしょうか?

子どもの頃、「一番になりたい」「褒められたい」と思った気持ちは、大人になっても、心のどこかに残っているものです。

比較や評価を絶対的な価値としてその環境に自分をおいてきたとしたら、そうなるのもうなずけます。

ですから、それは、わたしたちが自分の価値を感じて誰かに認められたいという、とても純粋な願いの表れと言えるのではないでしょうか。

心理学でいう「自己実現欲求」や「承認欲求」も、この「特別でありたい」「差別化されたい」という氣持ちと深く繋がっています。

わたしたちは、自分の個性や才能を認められ、自分らしい輝きを放ちたいと願っています。そのように生きる素晴らしさも知っています。

「違う」を恐れ、「特別」を求めるわたしたち~統合へのヒント~

潤治
潤治

ここで、少し立ち止まって考えてみましょう。

「違い」を探すことと、「特別」であることは、

どこが違うのでしょうか?

「違い」を探すことは、時に、優劣をつけたり、排除したりする力を持つことがあります。誰もが学校や職場などのシーンで、優劣や特異なことで誰かを差別したことがあるのではないでしょうか。それがいじめにつながるケースもありますね。

 

それでも、わたしたちが精神的に成熟していくことで、「特別」であることをそれぞれの人が持つ、個性豊かな美しさだと認められるようになります。この世界に彩りをもたらすための「個性」「違い」なのですもの。

そして、「差別化」という言葉があります。

これは、自分の個性や才能を磨き、他の人とは違う、自分ならではの価値を生み出すことと言えます。自分自身を輝かせることで、健全な自己満足を経験し、その満ち足りたまなざしが、周りの人たちにも向くようになります。

「違う」と「特別」が織りなす人間模様

では、なぜ、「違う」を探すことが「差別」に繋がり、「特別」であることが「差別化」に繋がるのでしょうか?

わたし自身の長年のカウンセリング経験から感じるのは、その違いは、その人の心の状態や、内側から放つエネルギー、そして、過去の心の傷と深く関わっている、ということです。

心が満たされず、不安や恐れを抱えている時、わたしたちは、無意識のうちに、「違う」ものに攻撃的になったり、排除しようとしたりすることがあります。それは、まるで、自分の心の弱さを隠すための、鎧のようなものなのかもしれません。

過去の傷ついた体験、特に、自分が「違う」という理由で傷つけられた経験を持つ人は、他者の「違い」に過敏に反応し、同じような悲しみを繰り返さないように、無意識に線引きをしてしまうことがあるのかもしれません。

スピリチュアルな視点から見ると、わたしたちの内側から放つエネルギー、つまり「波動」が、どのように世界を捉えるかに影響を与えているとも言えます。

心が穏やかで、愛に満ちている時、わたしたちは、違いを尊重し、多様性を豊かさとして受け入れることができます。自尊心は他者を尊ぶことにもつながります。逆もまたしかりです。

「違う」と「特別」「差別化」の間で、どう生きればいいのか

それでは、わたしたちは、「違う」を探す心と、「特別」でありたいと願う心の狭間で、どのように生きていけばいいのでしょうか?

大切なのは、まず、自分自身の心に優しく目を向けること。

なぜ、わたしたちは「違う」ことに惹かれ、時に、それを排除しようとしてしまうのか?
なぜ、わたしたちは「特別」でありたいと願い、時に、その願いが満たされない時に、苦しんでしまうのか?

自分の心の動きを知ることで、わたしたちは、無意識の行動に氣づき、より意識的に選択することができるようになります。メモやノートに書き留めるといいですよ。

そして、他者を見る時、その人の「違い」に目を向けるのではなく、その人が持つ、かけがえのない「特別」な輝きを見ようとすることです。

その人の背景にある物語や、その人ならではの美しさに、心を寄せようと心がけることです。

「違う」ことは、決して、争いや攻撃する理由にはなりません。それは、この世界を彩る、豊かな個性と言えます。

そして、「特別」であることは、誰かに優越することではありません。それは、わたしたち一人ひとりが持つ、無限の可能性の証だと思ってみましょう。思えない自分もしばしばいますが、ありのまま、あるがままでいいんです。

「違う」ことを認め合い、「特別」な輝きを分かち合う。そんな温かい心の交流こそが、わたしたちを、より深く繋ぎ、調和をもたらし、ともに幸せな未来を創造していく力になるのだと、わたし自身思います。

この瞬間から、ちょっとだけ、自分自身と周りの人を見るまなざしを変えてみましょう。

きっと、今まで氣づかなかった、たくさんの美しい光が見えてくるはずです。

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