この数年、「家族」について考える機会が多いように思います。
それはコロナ騒動のおかげでもあるし、年齢的に「親の他界」を経験したからかもしれませn。
数回に分けて、「親の愛」について書いていきたいと思います。
お付き合いいただいてもいいですか?
さて、
「親からの愛情」と聞いて、どんなイメージを持ちますか?
わたしたちはそこにいろいろな思いや考えを刻み込んでいます。
ひょっとしたら、
無条件に「親からの愛情は素晴らしいもの」と受け取っていることもあるでしょうか。
(それは本当ですか?刷り込まれているのかもしません。)
親からの愛は、どのような形でもわたしたちは受け取っている
「あなたのことを愛していない親はいない。」
それを否定することは、何かこの世界から村八分にされるような気がするのでしょうか。
道徳的に許されない、世間に顔向けできない、などの思い…など。
そして、わたし自身、
「家族」というものは、わたしにとってどのような機能だっただろう?
「家族」というものがあることで、わたしがそうせざるを得なかったものは何だろう?
「家族」が未来永劫、わたしの可能性を広げてくれるものだろうか?
とよく問いかけをします。
そこで感じるひとつに親からの「愛という名の束縛」がわたし自身はありました。
家族が大好きであることは素晴らしいことですね。
そして、家族が大嫌いということも同じく素晴らしいことだと
ーわたし自身は思います。
どちらもその心を突き動かし、
わたしたちの人生を変えていくものになるからです。
あなたは家族に対する強い想いはありますか?
ポジティブなもの・ネガティヴなもの、それはどんなものでしょうか?
あなたを突き動かす動機になり得る「親の愛」。
そして、その親の愛をどう受け取ったか?理解したか?
…があなたの中の「親の愛の形」「ものの見方」です。
しかし、その突き動かすものの取り扱い方は知る必要があります。
自分を正当化することも、自責する必要もありません。
この「大好き」「大嫌い」というものの見方の影響で、わたしたちをドラマ(自分で無意識に創り上げる物語の展開)に引き入れてしまうからです。
そのドラマこそが人生のすべてだと思うこともあるでしょう。
メディアはそれを大きく扱い、僕たちの価値観に影響を与えます。
しかし、そのドラマはわたしたちの魂が望むことではありません。
ドラマにハマっているうちは、人生で大切なことはスタートできないでしょう。
人生の目的(ライフパーパス)は霧の向こうにあるような感じかもしれません。
「楽しいことが分からない」
「自分の使命が分からない」
「心が震えるような喜びがない」
「表現したいことがない」
「自分を喜ばすってどんなこと?」
ーなどなど、絶望したり、迷うこともあるでしょう。
まずは、
「親の愛」に対する「思い込み」「刷り込み」「信念」が、わたしたちの「人生の目的」を見失わせます。
自分らしい人生を歩むために、「最初のドミノ」をどう倒していくといいでしょうか?