スマホは子どもに持たせるべきか?
スマートフォンを持たせる功罪
スマホを小学生に持たせることは、便利さや教育ツールとしての利点がありますが、ゲームばかりすることの危険性も見逃せません。残念ながら、中毒性のあるゲームも多く、親としては上手に立ち入ることが難しいものもあります。
分かりやすい中毒性ではなく、やわらかく自分の意志決定でどんどんと深みにハマる設計がされています。徐々にハマっていき、後戻りできないくらいのめり込みます。
そして、課金をさせ、ゲーム内の衣装を購入など、ゲーム内で価値を購入するシステムとなっています。課金する際、親としては苦悩することもしばしばで、子どもの喜びを人質に課金を求められているような感覚です。
親としては、身体への悪影響が心配です。
長時間の画面視聴による目の疲れや視力低下を引き起こす可能性、また、運動不足により肥満や姿勢の悪化、体力低下などの健康問題への懸念。
ゲームに夢中になると、コミュニケーションの機会が極端に減ります。お手伝いをしていても気もそぞろで、頼んでおいたことも忘れるほどゲームが心を占有していきます。
夜中に目を覚まして、横を見ると娘が携帯でゲームをしていたこともしばしば。睡眠の質の低下し、朝、起きられないし、疲れやすくなったり、話をしていても、集中力が落ちていると分かることが多々ありました。
スマホのことを家族で取り組もうとした決定的な出来事は、嘘をついて携帯を寝床に持って夜中にしていたことです。すでに依存症と思わざるを得ない出来事でした。
いろんなことが面倒くさくなる
娘との対話の中で、印象的だったのは、
「スマホをいじっているとその他のことが面倒くさくなるんだよね。」
という言葉でした。
お料理をすれば、下ごしらえや段取りが必要です。
工作や絵を描くなら、道具の用意、後片付けが必要となります。
本を読むなら、本を手に取る、何の本を読むかの選択が迫られます。
「食べる」「眠る」「排泄」以外の日常生活のほとんどすべてが面倒くさくわけです。
スマホを手に取れば、即時に情報を得たり、楽しんだりすることができるため、その即時性が依存症を引き起こします。何かを自発的に行わなくても、それなりの脳への報酬が得られるのですから、依存をするのも無理はありません。
また、スマホをそばに置いておけば、即時応答や常時接続が求められる社会に束縛されます。アプリケーションの通知機能は、絶え間なくユーザーの注意を引きつけます。これにより、頻繁にスマホを確認する習慣が形成されやすいのです。
「スマホに呑み込まれていくあなたを見ているのは悲しいし、寂しいよ。」
と娘に伝えました。
スマホと適度な距離感
家族会議が行われ、双方の氣持ちを共有しました。
パパは寂しい氣持ち
「あなたがスマホを手にしていると、お手伝いを頼みづらい。」
「頼んでおいたことがされていないと軽んじられたと思ってしまう。」
「パパの氣持ちを無視されたように思って悲しくなります。」
ママは心配の氣持ち
「視力低下が心配です。」
「コミュニケーションの機会が減り、思考力が鈍るのが心配」
「非言語を理解する能力が低下しているように感じる。」
娘は両親の氣持ちが知りたい
「嘘をついているつもりはなかったの。」
「パパがそんなふうに感じているとも言わないと分からなかった。」
「ママの言うことは正論だと思う。でも優しく言って欲しい。」
そのような氣持ちの分かちあいを経て、ではどうする?の話合いになりました。
その結果…
- 電源を完全に切る時間帯を作る
- 21時以降は、親が保管する
などが決まりましたが、何より、お互いの氣持ちを分かち合うことのほうが結果的に良好なコミュニケーションの機会となり、より工夫する姿勢ができました。