娘の小学校卒業宣言
「3年生になったら、学校を辞めるよ!絶対。」
1年生の秋に、「パパ、わたしは学校に行かなくてもいいからね。」と伝えてくるようになり、2年生の秋に、娘の学校卒業宣言を受けました。
ありがたいことに学校側は、娘の意志、家族の意向を最優先に考えてくださり、無事に小学校を積極的不登校することができています。
「ホームスクーリング」「ホームエデュケーション」「アンスクーリング」といろいろと言い回しはありますが、娘自身は「『自由な子ども』って呼んで欲しいかな、どうでいいけど…」と言っています。
保護者としては、世の中のレールから外れるような氣持ちがして、だいぶん躊躇しましたが、「学校と縁が切れたぁ!」と喜ぶ顔と、毎日たくさん対話ができて、一緒に深く考えたり、感じたりする時間とその情緒、心の成長を目の当たりにすると、学校に行かないでも良いという選択が娘にとっては本当に良いものだったと思う日々です。
不登校について、小学校との対話
学校とは、担任の先生、副校長、校長先生交えて話し、年3回の面談と、家庭で何を学んでいるのか?をレポートとして提出しています。
先日も、面談に行ってきました。
面談と言っても、30分程度の時間、近況や学習レポートの話、世間話をするだけなのですが、先生たちは娘の成長を見て、安心するようです。つながりが断たれたわかではありませんから、娘の意志と学校側の想いをお互いに確認する時間です。
「不登校」と言えば、娘に小学校に復帰して欲しいと思う学校側と、小学校は卒業したと思っている娘側で大きな隔たりはあります。期待や免責が大人側にはあるでしょうか。自由であることの不便も大人は感じて生きていますからね。
子どもが学校へ行かない選択をしていれば、「ホームスクーリング」
しかし、娘と学校側の隔たりをわざわざ埋めることも、相手に自分の価値観を押しつけるようなこともありません。ただ「違う」ことを「お互いが感じる機会」を作らせてもらっています。
保護者である僕にも日々、覚悟が試されています。選択をした責任と自由です。
先日の面談では、娘持参の「鉄の扇子」と「Googleレンズの使い方」に先生はときめいていました。学習記録も相変わらず、提出すると盛り上がります。
スターシード子育て 生きる力の邪魔をしない
毎日、娘は楽しそうです。
ことある毎に「学校行かなくて良かったぁぁ!」と叫びます。
では、学習を家でどうしているのか?と言えば、
彼女が好きなように好きなことをすることを邪魔をしないことを心がけています。
家事などは、「家」を運営する一員としてしてくれます。
- 自分の食事を作る
- 洗濯物の取り込み、収納
- 掃除、片付け
- スーパーマーケットへの買い出し
- 自宅サロンでの接客
生活から学びは発生していきます。
作業の動線、お金の計算、段取り、他人とのコミュニケーション。
あとは、自分の世界を大切にしているようです。
最近は、自分で物語を作ったり、文章化したり、花の写真を撮ったり、お人形遊びをしています。いわゆる、学習ドリルのようなものはしません。
「学力」という物差しで娘の素晴らしさは測れないと感じます。
「生きる力」という物差しが視覚化できればいいのですが、これは空気のようなもので測定化できません。しかし、生活していると場面場面でその力の素晴らしさに触れることになります。
- 何かに失敗しても、ちょっと笑ってからやりなおす姿
- 物語に出てくる人への感情移入
- なにげない、でもとても丁寧な他人への挨拶
- 氣持ちに寄り添ってくれる言葉の選び方
- 些細な書き置きの手紙
などに、僕は「生きる力」を思います。
ただでさえ、地球のルールでは縛れないスターシード。
彼らの「生きる力」を発揮出来る環境やコミュニケーションを目指したいと感じます。