星に願いを…、家事に祈りを…

ハッピーライフ

こんばんは、潤治です夜AGR214.jpg
以前も「パートナーシップのために…」の記事で書きましたが、
主婦の仕事を年収に換算すると…約1,200万円とどこかの記事で読みました…。
家事はお金で換算されません。
あえて、してくれるなッ…と言いたいのである…。
わかり易く目に見える対価として、家事を評価することは難しいと思います。
最近の「時短ブーム」などの時間という尺度で測ろうとすることも、本質ではないと感じています。
早く、簡単に、効率的に…という安易な道は、家事の気高さを低めるように思えます。効率主義という目に見える価値に換算しようとする安易さは、家事に限らず、働く意味を失わせてしまうように感じています。
家事をしていると気づくことがあります。

それまで、僕は時間内にいかに多くの家事をこなせるかを大切にしてきました。
効率よく家事をできたときは、達成感や充実感があります。
やらなくっちゃいけない家事を効率的にこなす自分に酔いしれることもあります…。
ひとりで 「家事マイスター」 という称号を自らに与え、褒め称えた時も…。→ひとり表彰式。
家事を効率的にこなせなかった日は、凹みますし、自分は要領が悪いと責めることもあります。
その痛みをパートナーにぶつけてしまったりすることも少なくありません。
そんな自分に自己嫌悪し、より家事を効率的にするには、どうすれば…なんて考えたりしていました。

ある時、朝から2回の洗濯をして、リビングの掃除をしていたら…。
ベランダに目をやると脱ぎ捨てられたベランダ用のサンダルがありました。
その揃えていなく、散らかしたサンダルを観て…
心がざわつくのを感じました…。
「何か大事なものを…、見落としている…?」
脱ぎ捨てられたサンダルの気持ちになってみました。
「僕はいつも君を支えているんだよ、君はそのことに気づいている?」
「君は忙しくしていて、耳を傾けてくれないけど…」
…とサンダルは言っているように思いました。

そう思いはじめたら、いろいろなものから声が聞こえてくるように感じます。
家の中で、さまざまなものが囁いているような…。
万物に神は宿る…といいますが、まさにサンダルにも神は宿る…という感じです。
それからは洗濯ものを干し終わるとサンダルを揃えて、
一言「ありがとう」と伝えることで、何か心の余裕というか、
家事に対する姿勢が変わっていったのを感じます。
「家事に祈りを…」

ひとつひとつの動作に祈りをこめることで、細部に神は宿り…、
家事の大切さやそれを通して得られる精神的な成長を感じられるようになってきました。
大袈裟かもしれませんが、家事を通して魂を研磨するような気持ちです。

家事を効率で測るという視点を手放せるようになりました。
床は手で拭いたほうが喜ぶし、台所道具は綺麗に管理されていると喜ぶし、
その道具で作られる料理の味は、美味しくなるし…。
料理を作るという過程も楽しくなります。
野菜たちの気持ちを感じ、姿を変え、冷蔵庫から巣立っていくのを見ることは感慨深いです。
食材たち、道具たちを、料理のパートナーとして、創りあげる料理は、とても美味しく仕上がります。

忙しくてできないこともありますが、できるだけ、そういう機会を増やしていきたいなと思います。
日常のささやかな作業…を通していただける学びの多さを耳をすますことで感じることができます。

家事をはじめ、「働く」 ということは効率では測れないものがあると思います。
その行為を通じて、誰かのために、何かのために、祈りを込める作業かもしれません。
効率だけなら、登山はヘリコプターで頂上まで行けばいい話です。
でも、その一歩一歩頂上へ向かう道を楽しむ、その風景を楽しむことこそ、登山の醍醐味であるように、家事も結果ではなくて、そのひとつひとつの地味な作業を精神的な作業として、むしろ修行のようなものとして取り組むことでその気高さを取り戻すように思います。

それが目には見えない価値を創造するでしょうし、それを家族は深いところで感じてくれるはずです。
そのときに理解してくれなくとも、数年後、数十年後に…。
そして、何冊もの本を読むことよりも、たくさんの叡智を受け取れるのかもしれません。

「家事」に祈りをこめることで、その価値を効率主義から解き放ち、本来の魂の研磨という価値につながると…。
2009年 「水本家サンダルの誓い」 以来、思っていることなのです。
なので、もう、パートナーの寛子に…

「僕は家政夫じゃないんだぁ!!」とムキーっとキレることも…
少なくなったと言いたいのであるッ…!。
星に願いを…、家事に祈りを…。

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