人間関係内における心理操作
「ガスライティング」とは、心理学の用語で、人を操作しようとする心理的虐待の一種を指します。加害者は犠牲者の現実認識を歪め、犠牲者が自分の感情や記憶、知覚さえも疑うように仕向けます。
この用語は、1944年の映画「ガス燈」から来ており、夫がガス燈の明かりを微妙に変えることで、妻を狂っていると信じさせようとする物語に基づいています。
夫婦で映画「ガス燈」も鑑賞しました。
夫の心理的操作が巧妙で、妻の現実感覚を狂わせていきます。
いい人を装いながら、巧みな嘘をついたり、間違った情報を相手に流していきます。
そうしているうちに、あたかも相手が「間違っている」「自己不信」「自己疑心」といった感覚を生ませるようにしていくのです。
「モラハラ男だぁ〜!怖い!怖すぎる!!」
「夫婦間で意外とやっちゃってる!やっちゃってる!」
「心優しいライトワーカー・アースエンジェルは食い物にされる!」
鑑賞後、夫婦で怖くなり、内省の時間を取りました(笑)。
多かれ少なかれ、人間関係において、結果的に相手の現実感覚を狂わせてしまうことは、僕たち自身もあるよなぁというのが我が家の感想です。
しかし、それを狙って、用意周到にするところにこの映画の怖さがありました。
心理的な虐待は、いともたやすく、日常で行われています。
怖いのは心理的依存を生みだすこと
身近な例を挙げるとすれば、たとえば、あなたが友人との約束をはっきりと覚えているにも関わらず、その友人が「そんな約束した覚えはない」と否定し続けた場合、これはガスライティングの一例です。
そして、もし、その友人が「最近忘れっぽいね」「気のせいじゃない?」などと言い続け、あなたが自分の記憶や判断を疑うようになれば、それはガスライティングの典型的な手口といえます。
他の例としては、パートナーがあなたの感情を否定する場合もあります。「そんなに怒ることじゃない」「お前はいつも過剰反応する」などと言われ、あなたの感情が正当でないかのように扱われると、自分の感情を信じられなくなるかもしれません。
ガスライティングは、職場、家庭、恋愛関係など、どのような人間関係においても発生する可能性があります。このような行動は、犠牲者の自尊心を侵害し、自己疑念を生じさせ、最終的には心理的な依存を生むことを目的としています。
自分の感情・記憶・直感を信頼する!
相手の現実感覚を狂わせるのは、悪気が無くてもできます。
「間違っているのは、君のほうだよ???」
「何を変なことを言っているんだ?」
「疲れているんじゃない?そんな勘違いをするんだもの。」
「自分が間違っているかも?」と思いながら、過ごしていたら、ガスライティングに心をやられてしまうかもしれません。
- 相手を信じたい
- 相手の良いところをみつけたい
- 相手だって、悪気はない
そのように人を見ようとする優しいあなた…
その優しさを利用する人もいます。
ましてや、あなたが…
幼少期の親子関係での自己信頼や自己受容の度合いにより、「自分が間違っているのかも?」という感覚を持っていたら…
ガスライティングのいい標的です。
たしかに自分が正しいと思い込んでいる人はイタいですが、自分が間違っているのかも?と思いすぎるのも危険です。
どんな時でも自分の直感を信頼しよう!
あなたが主体的に、求め、動き続ければ、あなたは自由です。
映画では、夫のガスライティングに心を病んでしまった妻のことを助けようとした人に「あなたは正気です。」と伝えてもらうことで、彼女は現実感覚を取り戻します。
この現実感覚を取り戻すための人間関係、日常の仕組み、信仰心は大切です。
「(自分でない誰かに)言われたから(命令されたから)」
とその言葉で自分の現実感覚を狂わせないことです。
「違うぞ!(違うかもしれない?)」と常日頃、ツッコめる精神状態でいることです。
他の言い方をするならば、
「ああ、やっぱり、自分の感覚で良いんだ!」
と主体的に確かめようとする意志を持つことです。
そのために、僕がしていることは、「求めること(ASK)」です。
そのうえで具体的な行動をちいさな一歩でもしてみることですね。
映画でも、解決に向かうきっかけにになったのは、精神的にまいりながらも好きな音楽会に行きたいという奥さんの行動でした。
求めることをやめない、あきらめない…という姿勢は、人生を好転させる、想いを現実化するきっかけになります。
あなたの「求めること(ASK)」は何ですか?