先日の潤治が難破するストーリーが好きに続き、私の過去生の影響が色濃く現れるストーリーのお話です。
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小学生の頃に味わった恐怖体験
私は子供の頃からあまり泣かない子で、親からも泣かない子で育てるのが楽だったと言われていました。
小学3年生くらいの頃でしょうか、あるツボにハマって大泣きしたことがあります。
これ以上ないほど、大泣きをしたのです。
小学校から帰ってくると、家の鍵は開いていました。
当時の母は家で仕事をするイラストレーター。月に何度か出版社へ行くくらいで、基本的に家にいる主婦でした。
しかし、いるはずの母はいなく、家は無人。
いくら母を呼んでも、返事はありません。
ここで私は急に、怖くなってしまいました。
家に帰れば、母はいる。
いない日はちゃんと聞いていて、自分で鍵を開けて勝手口から入るだけ・・・
出掛けるという話も聞いていないのに母がいないなんて、そんなことは今までなかったのですから。
「悪い人に、母はさらわれてしまったのかもしれない!!」
そんな恐怖で、私は玄関で大泣きをしていました。
もうどうしたらよいのか分からず、ただただ怖い考えに支配されていたのです。
しばらくすると母が帰ってきて、うっかり鍵を閉め忘れてご近所さんと話し込んでいた、と。
大泣きしている私に、母は寛子がこんなに泣くなんて珍しいと笑っていました。
鍵どころか玄関のドアを開けぱなしで買い物に行ってしまうこともあるくらい、天然な母でしたから。
鍵を閉め忘れてなんて、ごくごく普通のことでした。
でも私には笑い事ではありません!
どれだけ、怖い思いに囚われていたことかと!
しかしそれは、母には全く理解されないものでした。
ほんのちょっとした、母のうっかりだったのですから。
その恐怖の出所は、9歳の私はまだ知る由もなかったのです。
泣きのツボに入る映画
中学生になって、学校行事で都心の映画館で映画を観るという機会がありました。
その時の映画は、今でも忘れません。
乳ガンのために死を宣告された母親と、10人の子どもたち。
父親はアル中か何かだったかで、10人の子どもたちを任せるわけにはいかない…
子供たちを想う母親の、残された人生でのストーリー。
実話を基にした話ということで、家族に見守られた母親の埋葬のシーンで、私の涙腺は崩壊。
終わっても席を立つことも出来ず、大泣きしていました。
周りの友達を見ても、そこまで泣いている人はいませんでした。
大切な人と死に別れる話。
特に親との死に別れ。
私にとっては、驚くほど感情が揺さぶられる話なのです。
9歳の頃大泣きした恐怖も、突然姿を消した母とこのまま永遠の別れかもしれないという、得体の知れない恐怖でした。
私たちの潜在記憶には、自覚しないながらも過去生・別の人生の記憶があるようでその影響に支配されていることがあります。
幸い私の両親は高齢になりましたが、まだ元気にしています。
当時は親を失う恐怖、大切な人を亡くす恐怖は、今の人生で経験したことではなかったのです。
しかし、感情は非常にリアルな感覚として覚えています。
そのトラウマのきっかけとなる人との出逢い
20代になった私は、この死に別れのトラウマの一番の原因となる人と出逢っていました。
20代後半、私はその人を失うのではないかという、それまで感じたことのない例えようのない強い恐怖の中にいました。
電波の届かないところに相手がいて、携帯電話が繋がらないというだけで、もうパニックになるほどでした。
その時うっすらと、魂の記憶は遠い昔に体験したことがある…そんな感情に支配されていることを感じていました。
あれから20年も経って振り返ると、本当に笑ってしまいますが。
その方は、今も元気に好きなことをやっていますね。今の人生では、あのトラウマは繰り返さないようです。
当時は暗中模索が何年も続きましたが、結果的には過去生でのその人との関係を知ることが出来て、身も心も引き裂かれるような死に別れの体験であったことをしりました。父であったその人の突然の死と、残された息子だった私。
そしてそれまでの「失いたくない、離れたくない」という執着や恐怖からではない、また出逢えた喜びやつながりを感じて、関係を信頼できたからこそ。
私はその「死に別れ」のトラウマから、解放されたのです。
今は昔ほど、死に別れや生き別れの話に、大泣きすることはありません。
でもやっぱり、他の人生でもそういう経験はしていますから。その手の話で涙もろくなるのは、仕方がないですね。
今はまた違う課題があり、別の人生で死に別れた大切な人とは、ここでは死に別れることはない。
大丈夫だから、安心して。
そんな風に、自分に言ってあげることが今なら出来ます。