おはようございます、伊予柑好きの潤治です。
雑柑橘の中で、中袋ごと食べられるのでお気に入りです。皮をむくときの容赦ない香りの飛び散り方が素敵です。映画館で食べるのは危険です。伊予柑テロになりかねません。
このところ、父の入院などもあり、いろいろな感情を味わっていました。
幼少期に気に入らないことがあるとすぐに暴力をふるっていた父ですが、その父が力なく病室のベットに横たわっているのを見て、複雑な気持ちでした。
AQUAMIXT では、親からの影響をワークショップやカウンセリングで扱うことがあります。
両親の思考パターン、感情表出パターンが、今の自分自身を縛っていることも多々あります。
両親から受け継いだものが、今の自分に必要かどうかはいつでも再度選択し直すことができます。僕自身、父の姿からいろいろなものを受け継いだと感じています…。
子供ながらに、父を見ていて、いつも何かに不満そうなその姿から、
人生は我慢をし、苦行のように生きることだと感じ取りました。
しかし、父は、我慢の限界が来ると、母に暴力をふるい、その際、
「誰のせいで生活できていると思っているんだ!」
と怒鳴りつけることがありました。
今思えば、父の本意は…
“頑張っている自分を認めて欲しい”
“軽んじないで、大切にして欲しい”
“我慢している自分を褒めて欲しい”
だと感じ取れます。
幼い頃の僕にはただただ父の感情表出が恐ろしくてビクビクしていたものです。
父は我慢や苦行を人生に課すことで、何かを要求していたのかもしれません。
それは妻からの愛かもしれませんし、
子供たちからの尊敬かもしれません。
ここ数年離れて暮らすようになって、父の心に思いを巡らすことが多くなりました。
ひょっとしたら、父自身が幼い頃に、
我慢をすることで一時的な愛や幸福感を得たのかもしれません。
また、我慢することで褒められたのかもしれません。
そんな父が大人になり、その 我慢⇔愛 という交換レートが真実だと思っていたとしたら、
どんなに苦しかっただろうと思います。
まるで、一生懸命に貝殻を集めて、欲しいものを買おうとしているのに、
手に入らない子供のような姿が浮かびます。その無念さも…。
父は父なりに愛を欲し、愛を伝えようとしていたのに、
どんなに愛を求めていても手に入らなかった父の “ボタンの掛け違い人生” が、
大人になった今の僕には感じ取ることができます。
父の寝顔を見ながら、貝殻を集めてくれてありがとう…
と伝えてみるのでした。
コメント
トモナさま
いつもありがとうございます。
子供の頃に無条件で受け継いだ愛を求める行動が、
大人になって、恋をするようになり、人それぞれ違うかを
学んだような気がします。
恋愛を通して自分の弱さを観ることができるって素晴らしいことですよね。
そのぶん、強くなれる機会ってことですもの。
相手を批判・批評する前に、応援できるような自分でいたいな
と僕自身常々、思います…。
頑張っている自分を認めて欲しい”
“軽んじないで、大切にして欲しい”
“我慢している自分を褒めて欲しい”
…誰しも、胸の中のどこかで感じてることだと思います。
今、僕に様々なことを見せてくれ、気付かせてくれる女性がいます。
(お二人には話だけさせていただいてますが)
この文面の後半の「父」を「彼女」に変えるとほぼ
彼女の言動に当てはまるような気がしてます。
彼女の子供の部分を、焦らず、真に受けず、責めずに、
優しく、暖かい心で、いい子いい子してあげたいな…。
バランス取りながら、少しずつ彼女の心の扉を
開いていけたらいいな…と思う今日この頃です。