自分がして欲しいことを相手にするのではなく、相手がして欲しいことを相手のためにするということですね。
お互いに頑張り屋というのは、お互いにプレッシャーを与えてしまいます。
相手のために頑張るということは、実は相手を追い詰めることにもなると感じる子育ての日々です。
頑張るということで、相手に良い刺激になればいいですが、
伸びきったゴムのような心には辛いだけかもしれません。
子育て中の僕たち夫婦はお互いにそのような状態に陥ることがあります。
よくある子育て中の虚無感というものでしょうか。
よく、鬱症状のある人に「頑張れ!」というのは
御法度のように言われますが、それと同じようなものでしょう。
子育ての持つ「緩やかな束縛と生産性の無さ」は、
正直、鬱々としてしまいます。
ああ、仕事しているって充実感って素晴らしい癒しです。
そらぁ、仕事に逃げたくなる気持ち、否めないです。
育児中は、賽の河原にいるような錯覚すらしてしまいます。
河原で父母供養のために小石を積んで塔を作ろうとするが、
石を積むとすぐに鬼がきてこわしてしまう…という終わりのない作業。
我が家では…、
掃除してもちらかる部屋。
ままならない食事の用意。
ご機嫌をうかがいながらの生活。
何も生み出していないような虚無感。
ままならない食事の用意。
ご機嫌をうかがいながらの生活。
何も生み出していないような虚無感。
「子育てはお前の仕事だろう!」
という言葉がいかに残酷かがわかります。
そこまでいかなくても、「子育ては君に任せるよ。」
という期待で相手に足かせをハメることもあるかもしれません。
残念ながら、子育てには、ある一定の成果基準がありません。
その偉業にもかかわらず、低く見積もることも多々あります。
強く自分の気持ちを訴える権利があると自分自身に思えないこともあるでしょう。
子育てしながら、社会に後ろめたさがあるなんて、とてもナンセンスです。
経済活動に参加していないだろう?視線が電車の中でも痛い時があります。
僕の被害妄想であることを祈りますが、
意外に多くのママさんが感じていることではないでしょうか。
何か頑張るだけバカみたい…という悲しさ。
夫婦共々、この虚無感に陥っていました。
お互いに気遣おうとすればするほど、相手の虚無感を増幅させていました。
「わたしはあなたのように、上手に子育て出来ません。」
と言い出したい時は少なくなく…。
夫婦共に、頑張り屋であるが故に、ベストを尽くしきれていないと
その負い目も感じやすく、孤独感に苛まれます。
その孤独感、虚無感を理解し合えるよう、
パートナーシップも紡いでいければと思います。