嫉妬から自爆、悲劇のほうが僕に合ってる

潤治の徒然草

このところ、「嫉妬心」について書かせてもらっています。
喜怒哀楽嫉妬心と無くてはならない?感情だと僕自身は思っています。

人生が変わる鐘を鳴らしてくれるものだからです。

嫉妬心は僕たちの「癒されていない感情」「隠れた才能」「本当の望み」などを知らせてくれます。

ですから、それを感じないように生きるのは、
自分の人生の醍醐味を味わわないようにしているようなものかもしれません。

僕の嫉妬心の学びは、幼い頃からの女性関係に表れました。

僕は女性とお付き合いすると決まったパターンがありました。e8c3116c24c72c301efb1c10fefdd5a6_s

運命のようにその人を好きになり、深い交わりを感じ、幸せな氣持ちにしばらくは浸ります。
その後、本当に彼女は僕を愛しているのだろうか?と疑い始めます。

「昨晩、電話したら話し中だったけど、誰と話していたの?」
「○○先輩と楽しそうに話していたね、何話していたの?」
「そんな大事なこと、他人には話して、僕には話さないの?」
「昔、付き合ったいた男性と僕はどこが違うの?」
「友達と旅行に行くってどこに行くの?何で僕とは行かないの?」
「いくら友達だからと言っても、男性とふたりきりにならないでよ!」

どうですか?ウザいですか?w

無意識の中に僕の言動を決定するような「信念」があったのだろうと思います。

それは、

「ありのままの僕は愛される価値はない。」
「愛し愛される人生などあるはずがない。」

などでしょうか。

現に、この信念を忠実に守った女性遍歴でした。

それでも青い鳥がどこかにいるように、探し求めていて、彷徨っていたわけです。
「いるはずだ!いや、待てよ、やっぱりいないのかも?」と。

僕はそのような不安を解消するように、彼女たちに「好き」という言葉を使って
依存していたのですね。思えば、ずいぶん遠回りしたように思います。

お付き合いのほとんどが、僕自身が猜疑心で勝手に自爆するという結末でした。

「もう、潤治とはいられない。」
「潤治には付き合いきれない。」
「潤治を本当に分かってくれる人がわたしの他にいるから。」
「潤治が思っている以上にわたしは君のこと好きだったよ。」
「少し距離をおいたほうがお互いに楽だと思うの。」
「疲れる~、潤治といるの。」
「他に彼女作ったら?」
「結局、潤治はわたしのことを見ていないじゃない?」

彼女たちにその台詞を言わせたのは、僕であり、
僕の自尊心の低さのためでしょうか。

僕は疑うことで、

「やっぱり?僕なんてダメでしょ?」
「結局、裏切るんでしょう?ほらね!」
「僕は不幸者のエリートさ!」
「君こそはと思っていたけどね!バカぁ!」

と言ってのけて人生に絶望し、自分に罰を与えたかったのかもしれません。
僕なんて生まれてこないほうが良かったんでしょ?って。

僕に関わってくれた女性たちは、ただただ、僕を愛してくれていたのに、
僕が勝手に彼女たちに「女性は裏切るもの」という烙印を押し続けていただけだったのでしょう…。
何人かやり直したい女性がいますw。

これは僕の母が僕を裏切り離婚したことに起因するのですが、
これも僕の大きな誤解でした。

大人になって「僕を裏切ったの?」と母に訊いてみました。
彼女は僕を裏切ったのではなく、彼女は精一杯に僕を守ろうとしてくれただけでした。

僕の一人芝居、マッチポンプシステムはいともたやすく崩れ去りました。

ほんの少し「嫉妬」で思考停止であった先に踏み込んでみて変容が起こり始めました。

愛し愛される世界ばっかりだし、
愛される価値など考えることすらおこがましいほど、この世は愛に満ちていたし、

それを見ようとしなかった僕だっただけでした。

受け取らないのに、奪おうと必死な世界は良い思い出です。

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