「怒りは自分に盛る毒」だが、役に立つ

潤治の徒然草

「怒りは自分に盛る毒」ホピ族の格言。

先日、実母の引っ越しの段取りのために不動産屋を訪ねました。

多摩市聖ヶ丘の我が家から徒歩数分のところに一人暮らしをしている母は、遠からず近すぎずの関係で過ごしています。

しかし、生来の自由気質が僕の気に触ることがあります。

  • 自分の都合の良い解釈
  • ゆずれない自分自身の快適さへの追求
  • 他人に迷惑をかけていないという誤認

母の自由気ままな姿は、僕にとってはうらやましく、だからこそ、その姿にイライラしたり、怒りを感じるのだろうと思います。

母から見たら、僕は勝手に不機嫌になる面倒な息子となるでしょうかw。
結局、本人がそれで自分は幸せなら、周りからの批評批判など取るに足りないわけです。
母はその姿を見事に体現しており、自分の人生を全うしていきます。

僕が自由な発想や言動をする女性に心惹かれるのは、母への憧憬があるわけです。

恋愛遍歴を振り返ると自由を好む女性と自分の人生の呪縛で苦しむ女性の行ったり来たりだったように思います。

結局、母のような自由志向の女性と一緒にいると僕のいろいろな感情があぶり出され、憧れを感じながらも、自分の中で処理できずに逃げ出してしまうという恋愛パターンでした。

そして、自分の呪縛を取り去るために似たような感覚の女性と付き合うのでした。

さて、母のそうした自由志向の女性に憧れつつも、「分かって欲しい!」という氣持ちから、その人の首根っこをつかまえて、自分の価値観を押しつけてしまうこともあります。

昔よりもましになりましたが、全くのゼロにはなりません。

そして、そのあぶり出される僕の癒されていない感情は分かりやすく「怒り」という感情で表出されます。

母の引っ越し費用や契約に必要な手配などは、すべてこちら持ちですから、「母に自由に生きて欲しい!」などと対外的に格好をつけていながら僕の中にはその思いとはほど遠いものが存在するわけです。

何かを与え合い続けることなど、幻なのでは?と思う時もあります。

それは視野が狭く、今までとは違った可能性を自ら塞いでいるからなのですが、当の本人には見えづらいものがあります。

そして、癒されていない感情は分かりやすく「怒り」という形で表出し、それは外に向かうこともあれば、内に向かうこともあります。

外への攻撃か、自傷行為です。
(【外】他人を批判、批評。暴力や中傷。他人にプレッシャーをかける、執着する。価値観をごり押しする。【内】自責する。原因探し。嗜好品に溺れる。疲れを超えて仕事。我慢、遠慮、犠牲。自己批判。完璧主義。)などでしょうか。

今回は、謎の高熱を出し、身体中が痛くなるというベタな表出に僕は悩まされました…。

「どうしてこんな目に!!?」といっそう視野は狭くなり、怒りで自分の身を焦がしそうになりました。

そのような時に、「質問力」「問いかけ」は人生の選択肢を広げてくれます。

その怒りはいつのもの?誰のもの?持ち続ける必要は人生にある?
怒りで見えなくしようとする可能性はどんなもの?
誤用することで機能し続けた僕に本当は必要のない思考と感情をどうしたら?
その怒りは本当は何を伝えたいの?

「考えるな、問いかけろ…。Don’t think.question!」ということでしょうか。

寛子の近日詳細告知される「問いかけの魔法 スピリチュアル・コーチング」は、
きっとその思考の拡大、可能性の拡大を容易にしてくれるでしょう。magiccoach

タイトルとURLをコピーしました