ある日、両親が認知症になったら?
子どもの頃から見てきた彼らではなくなったら?
僕たち子どもはどうそれを捉えれば良いのでしょうか?
昨年、父が怪我で入院し、急激に痴呆が進みました。
自分の息子も認識できないほどでしたが、怪我のショックから立ち直っていくとその症状も緩和しました。
しかしながら、もう、子どもの頃から見てきた父とは違う人になっていました。
それでも息子に託したかった「マイホーム」の想いだけは覚えていて、
「あの家は、潤治のものだからな…。」
「あの家で、子どもを育ててな。」
とローンの支払いが残っている家を自分の財産だと思い込んでいる父の姿はこの世代の「夢のマイホーム神話」の罪を思いました。
マイホームを残したお手柄という幻影をあたかも事実だという認知を抱え、痴呆していく父の姿は息子の僕からすれば、「勝ち逃げ」「ヤリ逃げ」「当て逃げ」「食い逃げ」「ばっくれ」…でしかありません。
憤怒(七つの大罪のひとつ)を抱え、僕は「自分の人生を生きる」という意志を貫くことよりも、それらの感情に振り回され始めました。
そういう時、「魂が弱くなる」と僕は感じています。
憑依されやすくなる瞬間です。
また、この時、僕はかすかに父に罪悪感を持っていました。
父が描いた息子の幸せを僕は生きたくなかったし、その姿とはほど遠い自分らしい人生を生きていたからです。
少しでも父のために我慢して、自分を鍵のかかっていない鳥カゴにでも自分を閉じ込めていれば、少しはその罪悪感を味わわずにいられたかもしれませんが、僕は自由に空を飛び出してしまったのです。
なぜか?
そうしたかったから…。
誰かのためでもなく、そうすることが世間で認められるからでもなく、社会的な評価を受けるわけでもなく、Facebookでの「いいね」の数が増えるからでもなく、
ただ、そうしたかったから、です。大義名分などありません。
自分の魂の叫びに従うことで、世間的に、道徳的に、後ろめたさや罪悪感を持つことがあるかもしれません。
そして、また、ほんのちょっとの自分への裏切り、嘘、虚栄心、我慢、遠慮などでも、日常的に僕たちは憑依されやすい状態を自ら創り出します。
天使は僕たちの自由意志を尊重します。
何でも自分で決めなければなりません。
誰か(さまざまな存在)に決めてもらうのも楽でした…
ダンコたる決意(スラムダンク参照)が必要なのかもしれません。
まずは、憑依されやすくなる瞬間を知り、それを防ぐためのコツを習得することが大切です。AQUAMIXT の魂の羅針盤シリーズ「憑依・除靈編」「浄化・シールディング編」は自分の人生を生きる喜びに満ちたものにするために必要なものを共有していきます。
両親の期待する人生を生きることから卒業することもそのひとつでしょうか。