自分の魂が本当に望んでいる人生を歩むために、僕たちは何を選択するでしょうか?自分らしく生きてしまったら生じる不都合はありますか?誰かに後ろめたさを感じるでしょうか?自分の人生を生きるうえで「エネルギー管理」はとても大切です。人生のあらゆる時に安らぎや喜びを感じない時があるとしたら、そのあなたは誰ですか?
アクセス・コンシャスネス(R)の世界で「エンティティ」という考え方があります。
どんな理由にせよ「離れられない」と決めた存在のことです。
人や場所などに憑くことがあり、時と空間に閉じ込められていると言っていいかもしれません。
エンジェルセラピー(R)では、低級霊の憑依や地縛霊などの感覚に近いものがあります。
自分らしく生きる、人生の目的を生きるという場合、
この見えない世界の影響を考えずにはいられません(→僕だけ?)。
どこかに他人のせいにしたい、自分の人生の全責任を背負うことに対する怖れがあるのかもしれません。(僕がね…)
憑依体質とその人が思えば、それに引き寄せられて低級霊はその人たちのもとにやってくるでしょう。
スピリチュアル業界あるある
「わたしって憑依体質だからぁ~」宣言(やや半笑い)。
また、自分の中に「不可侵条約を締結した他人」がいれば、何かうまくいかない時はその人のせいにできるでしょう。
もちろん、そうせざるをえない場合も、あるかもしれません。
これ以上の痛みを感じられない場合に、自分の中に違う自分を創造、乖離することはあります。
過去からの呪縛を自らに課せれば、今の人生の選択権のすべてを握らずに済むでしょう。
AQUAMIXT でいうところの「カルマー(カルマがお好きな人々)」。
「自分であること」
「自分らしく生きること」
「本当の自分を感じること」
は、無限の可能性につながるのかもしれません。
なぜなら、完全に自分自身の選択で人生に無限の変化を起こすことができるからでしょうか。
しかしながら、それはとても怖いこと、なのかもしれません。
自分の人生を生きるなんて…
無限の可能性を手にするなんて…
ナイアガラの滝を全身で浴びるようなものだわ。あははは。
だからこそ、憑依の問題はつきまとうのだろうと僕自身は思います。
解離性障害なども、自分の人生で起こるドラマ、トラウマの痛みをひとりで抱えきれないところから発現するわけですが、
そうした一般的にネガティブに扱われて、認知もされていることなら自分自身、または他人からフォーカスすることもできます。
まさか、自分らしく生きることに関して、
憑依の問題が関わっているなんて…
その家族の過去生や血統などが関わっているなんて…
思えないかもしれません。
ちょっと問いかけてみましょうね。
「自分の人生を生きる時、僕たちを阻害するものは何でしょうか?」
「その時のあなたは、本当にあなたでしょうか?」
僕たちひとりひとり、この人生で生きる身体を手に入れ、その身体を愛すことが許されています。
僕たちひとりひとりが、自分だけの身体を持つことができます。
共感力というある意味、ありがたくもやっかいな感覚が僕たちを苦しめるかもしれません、と僕は思っています。
そうです、僕のひとつの「視点」です。
共感力をどう使うかも、「自分の人生を生きること」につながります。
ライフパーパス個人レッスンでは、「自分の人生を生きる」ということをさまざまな視点から見つめていきます。
それが多角的にその人を癒すことになるだろうし、過去からの呪縛を解き放つことにもつながると感じています。
ナイアガラの滝を全身で浴びてみませんか?w