先日の記事「僕の『ありのままギレ』はアドレナリンを放出させる」の続きになります。
僕の偏った視点では、「アナと雪の女王」からの「ありのままブーム」はミスリードのように感じています。
「ありのまま」と言いつつ、エルサ女王の単なる責任放棄じゃあないかと2次元のアナ王女に恋をした僕の偏見です。
「ありのまま」と言いつつ、不義理と無責任と対峙すべきものからの逃避を正当化する世界の動向が杞憂であることを祈るのばかりです。
「アナと雪の女王」…。
そこにあったのは、「ありのまま」
もちろん、僕の偏見ですからね。
「ただ」
花には人間のような かけひきがないからいい
ただ咲いて ただ散ってゆく からいいただになれない 人間のわたし
みつを
ありのままの自分はアピールするものではなく、
「ああ、これが自分か。」
とそう自分を受け容れるだけ、と僕は思っています。
イライラして怒る自分
我慢してやるせない氣持ちになる自分
何か停滞感にフツフツする自分
恰好悪くて卑しい自分
小さなことに執着し情けなくなる自分
自己嫌悪に陥り、何かにすがりたくなる自分
誰かから褒められているのにそれを受け取れない自分
誰かから期待されているのに自分を過小評価してしまう自分
やりたいことを先延ばしして自分に嘘をつく自分
などなど、
僕は上記すべてに当てはまり、
彼女たちに偽りの賞賛を得ようと試みるから。モテたいから。
タケテツ(武田鉄矢)の金八先生ではありませんが、
僕たちは「人間」、つまり「人と人の間」で生きる者であり、
人間関係無くして、僕たちは生きてはいません。
「これが自分か…」とありのままに受け容れることから、
自分らしく生きる道は開かれると僕は感じます。
秘密にすること、押し隠すこと、または逆にアピールする必要は、
内面にある罪悪感と自責を増幅させるかもしれません。
乾いた喉を海水で潤そうとするような感じでしょうか。
我が家で語られる「偽ありのまま」は、
そのためにアピールする場はとても増えましたもの。
自分がどこまでも大事という極端な自己愛は、
良い意味で人間関係(特に身内)
もう一度、言いますが、僕の偏った見方ですからね。
子育てをしていると叩きのめされる感がとても強く、
娘のトイレのタイミングを氣にしすぎてやきもきする自分
イクメンを気取ろうと思っても、ママの指摘でボロが出る自分
娘の洗濯物の多さにイライラする自分
片付けられていない部屋を見て、ひざまずく自分
娘の食べ残しにひとりで悲しくなる自分
娘のペースでピューロランドに行っても楽しめない自分
家族のためにと頑張っても、結局疲れてキレる自分
そして、ことごとくママにツッコまれる自分
そうした家族を始めとする人間関係の中で、
格好をつけて自分ではない自分になろうとすることを諦め、
「こんな自分でも愛してくれちゃうんでしょ?
本当にありがとう!君たちのおかげで僕は満たされていくんだね。」
自己愛と他己愛は等しく高めていくことで、
感謝は自己肯定感をいずれ高めていくというわけですね。
偏らず、
家族や身内に見守られながら、なるべく感謝し…。
その遠回りに見える道程を歩みたい。
コメント
潤治さーん!
正しく私は今、『かっこ悪い自分』真っ只中です(。-_-。)
やろうと思ってるのにグズグズ。
停滞感でモヤモヤ。片付いてない部屋を見て1人で( ºДº)キーッ。カラダはダルイ。つまめるお腹を見てため息。バーズ講座の日程が決まったのに不安ばかりがやってくる。・・・こんな私にファシリテートする資格はあるのかな?
自分にダメ出しばかり。ごめんね、私。
いつになったらまるごと自分を愛せるのかなー。
ここまでテンション下がると後は上がるかな?
これよりいいことってどんな?
悦子さま
コメントありがとうございます。
「恰好悪い自分」もありのまま…ですよねw。
まるごと自分を愛するなんて、難しい課題です。
僕自身は「嫌いなところもあるけど、やっぱりイイやつ」くらいに落ち着いています。
バーズ講座、楽しみですねぇ!そのプロセスが悦子さんの恩恵になること間違いなしですもの。
応援しています。