マスターは東儀 宗介(とうぎ そうすけ)、かつて天使だった頃の名は、メネフィール (Menephiel)。
仕事帰りや週末に通う常連OKは、小鳥遊 紬(たかなし つむぎ)、28歳。中堅デザイン事務所のグラフィックデザイナー。
雨上がりの夕暮れ、『刻詠珈琲店』の窓には水滴がきらきらと光っていた。湿った空気と共に入ってきた紬は、傘を入口の傘立てに置き、いつもの席に座った。宗介は既に、温かいタオルと共にコーヒーの準備を始めている。
「宗介さん、またまた質問があって…。」
「どうぞ、今日もお疲れさまでした。」
香ばしいコーヒーの香りが、雨の匂いと混じり合う。
「カードのキーワードって、どうやって自分の状況に当てはめればいいんですか?例えば『成長』って出ても、それが仕事なのか、人間関係なのか、私生活なのか…、さっぱり分からなくて。」
宗介は豆を挽く手を止め、ゆっくりと紬の方を向いた。
「そうですね、キーワードは、料理における食材のようなものでしょうか。」
「食材?」
「ジャガイモがあったとしますよね、では、それで何を作りますか?肉じゃが、ポテトサラダ、それともシンプルに塩茹で…、同じ食材でも、作る人によって料理は変わっていきます。」
宗介はカップを置きながら続けた。
「キーワードも同じじゃあないでしょうか。それは答えじゃなくて…。紬さんが今の状況を理解するための、ヒントということです。」
「ヒント…?」
「『成長』というキーワードが出たら、そうですね、まずは、自分に問いかけてみてください。『今、私は何において成長を求めているだろう?』と。」
紬は考え込むような表情を見せた。
「自分に問いかける、ですか?」
「ええ、そうです。その問いかけが、心の奥に隠れた願いや悩みを引き出してくれると思います。」
宗介は窓の水滴を指さした。
「この水滴も、光の当たり方で違って見えます。仕事での成長を望みながら、人間関係の停滞に悩んでいるかもしれない。あるいは、内面的な成長が止まっているように感じているかもしれない、といったように。」
「じゃあ、キーワードは今一番悩んでいることに関係してるんですか?」
「そうですね。カードは紬さんの心が最も必要としているメッセージを届けてくれているのですから。」
宗介は静かにカウンターを拭いた。
「仕事に悩んでいるなら、『成長』は仕事での成長を示唆している可能性が高いでしょう。人間関係なら、その中での心の成長を促しているのかもしれません。」
「でも、複数の悩みがある時は?」
「一つずつ当てはめてみることです」
宗介は古いパズルの箱を棚から取り出した。
「『成長』を仕事、人間関係、私生活、それぞれのテーマで考えてみるといいですよ。そうすれば、カードがそれぞれの悩みに対して何を伝えようとしているか、見えてきます。」
「パズルみたいですね!」
「紬さん、その通りです。オラクルカードリーディングは、自分自身を知るためのパズルという表現もいいですね!」
宗介はパズルのピースを一つ手に取った。
「キーワードというピースを、紬さんの状況という台紙にはめ込んでいくようなもので、パズルが完成した時、これまで気づかなかった、心の全体像が見えてくるいうことでしょうか。」
紬は、宗介の嬉しそうな顔を見ながら、その言葉を聴いていた。
「その全体像が、進むべき道を教えてくれるんですね?」
「そうです。答えは常に、紬さんの中にありますから。」
紬は深く頷いた。
「キーワードを、私の心を映す鏡だと思って向き合ってみます!」
「それがいいですね、応援しています。また、いつでも質問してくださいね。」
宗介の穏やかな表情に、かすかな温かさが宿った。
雨上がりの空に虹がかかり始め、その光が店内を優しく照らしている。
紬は新しい視点でカードと向き合う準備ができていた。
コメント