自分のセルフイメージや自己信頼残高を上げるAQUAMIXTの個人レッスンのひとつ「ライフパーパス個人レッスン」は寛子と僕がふたりで担当します。
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その中のひとつ、行動編レッスンには、自分の好きなものをプレゼンするという回があります。
理屈抜きで好きなものをプレゼンテーションするわけです。
その際、自分の好きなものが何なのか?
というところから、つまずく人もいます。僕もそのひとりでした。
あなたの好きなことは何ですか?
そもそも、自分自身、何が好きだったかを、日常であまり意識していないことに気づかされます。
やったほうがいい、意味があるかないか、得か否か、そのように考え、単なる好きということに意味を見いだせない自分がいました。
大人になっていく過程で、やったほうがいいことを選択し、意味があるかないかや損得で、それをする価値を決めてきたので、単なる好きという気持ちがそれと一致しない時、わからなくなってしまうことがあるなぁと思うわけです。
例えば、僕はスーパーマーケットで野菜を見て回るのが好きです。
見て回るだけでは、意味がないし、時間や労力の無駄かもしれません。
ただ、お店に並んでいる野菜を見るのが好きなのです。
陳列の仕方や数、季節の移り変わりによる陳列物の変化…
もう、それを言葉にしているだけでワクワクしてきます。
でも、それを他人に話すことで返ってきそうな言葉も予測してしまいます。
「そんなことして何の得があるの?」
「そんなことをして意味があるの?」
「いい大人が、それをして恥ずかしいよ。」
などなど。
そんなことを言われて、弁明したり、自分を弁護したりするのも、面倒なので、いつの間にか「周りの人を納得させられる選択」をするようになりました。
今、考えると…
なぜ、他人を納得させなければいけないのか?
そうするのは誰のためなのか?
自分のためだとしたら、どうして?
と自問することが増えました。
ただ楽しむことに抵抗があるわけです、僕は。
喜びに対して罰があるという僕の信念のせいだったかもしれません。
喜んでいれば、「何をはしゃいでいるのか?」ともうひとりの自分は叱るように言うわけです。
両親の価値観を知らずに自分のものにしている
その声の出処はよくよく思いかえすと、
両親の価値観であり、僕に対するコントロール方法のひとつでした。
はしゃいでいると怒られ、ふざけていると怒られ…。
そうして、楽しむことに制限をするようになりました。
自分で自分に制限をかけたわけですね。
しかし、楽しむパワーはやっぱり、心の底から湧き起こってくるものです。
それは「情熱」を言えるでしょう。
その無尽蔵なパワーは誰にも止めることはできません。
その無尽蔵なパワーを使いこなすために、ライフパーパス個人レッスン行動編では、自分の好きなものを他人と分かち合うという実践があります。
好きなものと言いながら、他人に納得してもらおうとしたり、意味のあるなしで考えてしまったり、この実践にはとても奥深さがあります。
好きなものを語るのに、誰かを納得させる必要はあるだろうか
僕が小学生の頃、学校が終わると友人たちと校庭で、陽が沈むまでドッチボールをしていました。
もう、夢中でボールを追いかけては投げて、追いかけては投げての時間でした。
「どうして、そんなことしているの?」
「そんなことをして意味があるの?」
と大人の僕が彼に尋ねたら、きっと彼はこう答えるでしょうか。
「楽しいからやっているんだよ。」
ただただ、楽しいと思える時間や習慣を作ることは、情熱を全開にし、他の仕事や家事、人間関係にも影響を及ぼします。
あなたは「情熱」を使いこなしていますか?
ちなみに、「情熱・熱狂」などの英語訳は、「enthusiasm」です。
その語源は、「内なる神」(entheos)にあたるギリシア語です。
あなたの「内なる神」を使いこなしましょう!