スピリチュアル起業についてカードリーディングで深めていくワークショップが2月13日(土)に開催されます。「オラクルカードWS スピリチュアル起業、あなたの場合」です。スピリチュアリティを扱って起業する場合、何が正解でしょうか?うまくいっている人を真似ることが正しいでしょうか?
あなたの場合はどのように起業し、そしてそれを続けていきますか?
僕が浪人生の頃、社会から取り残された感があり、僕の中の劣等意識がむくむくと頭をもたげてきました。いろいろな劣等感はあったかと思いますが、わかりやすいそのひとつは、
「身長がないこと」 でした。
今でこそ、実際180センチ以上あると自称していますが、
当時は170センチに達していない自分をひどく嫌っていました。
なぜか身長170センチ以上なければ、男じゃないと僕は思っていました。
何かしらのメディアからの影響(「3高 」高学歴・高収入・高身長)かと思いますが、モテ本を読みあさっていたがために逆にモテない現実を引き寄せているというパラドクスに陥っていたようです。
高校生当時、なけなしのお金で「あなたの身長はあと10センチ伸びる」というキャッチーなコピーにほだされ、体操教材ビデオを購入したことがあります。
その体操をしていることを誰と共有することもなく、黙々と人に見せられない体操をするわけです。
もちろん、特に背が伸びることもなく、その教材を見るたびに自分の浅はかさを思うのでした。
高校を卒業し、浪人生になった頃、自分の肉体に頼らず、
「もう、これは靴に仕掛けをするしかない!」と思いました。
少し靴底の厚いバスケットシューズに中敷きを重ねて、シークレットシューズのようなものを作成しました。
それを履いたときの感動ったらありませんでした。
「オレ、今、身長伸びている!世界観変わった!」
とひとりごとが口に出てたくらいです。
その魔法のシューズの魅力はとてもつもなく、街を闊歩したい氣持ちになるのでした。
「みんな、僕を見て!」
「背が高くなった僕を見て!」
「みんな、僕のように、誰でも背が高くなるんだよ!」
「背の低さに悩んでいないで、シークレットしなよ!」
「ありのままの僕を見て!(靴に偽りあり)」
当時、Facebookがあったら、その全身写真をさりげなく投稿していたことでしょう。みんなで記念撮影!的な。
しかし、友人や彼女に会うとき…
喩えようも無い不安が襲うのでした(バカでしょ?)。
ふたりの間に妙な空気が流れるわけです。
「あれ?何か背伸びた?」
「シューズのせいだよ。」
「え、そう?」
その時の恥ずかしさったらありません。
あきらかに不自然な背の伸び方に何か細工していることは明白であり、それを隠している、嘘をついている僕自身を僕はとても恥ずかしく感じたのです。
座敷に上がる時の恐怖
→ズボンの長さが不自然
脱いだ靴の身の振り方
→靴箱に速やかに収納、もしくは倒す
一斉に皆、靴を履くときのそそくさ感
→徒競走ダッシュのように…
相手と対峙した時の視線のやり場
→いつもの目の位置違ってない?
僕は「こうありたい」という自分に一足飛びになってしまった結果、
(結果、なっていないですけどね…)
とんでもない不自由と心の重荷を背負ってしまったのです。
知り合い程度の他人なら、平気でその嘘をつき続けることができるのですが(その感覚も問題…w)、知り合いを超えた親しい人たちに僕は「嘘をついている、見栄をはっている」自分がとても恥ずかしく感じたのです。
いっそのこと、「何、シークレットシューズしてんだ!」と糾弾して欲しかった。
浪人生だった頃の友人はしばらくして、疎遠になり、当時の彼女も自然消滅しました。シークレットシューズへの糾弾はなく、僕の虚偽は時効になりました。
しかし、その「自分を偽った恥ずかしさ」、
もっと言えば、「自分を偽った罰」は、
僕の記憶と心に刻まれ、今も僕を罰し続けるのですw。
「昔、アダルトビデオに出ていた!」のグラビアアイドルよろしく、
僕はシークレットシューズを履き続けた十字架を背負い続けています。
誰も僕を罰することはありません。
僕は僕自身の心と記憶に罰し続けられますから。
前置きが長くなりましたが、すべてのことは相似していると思いますので、
起業についても同じことが言えると僕は感じています。
次回「スピリチュアルカミングアウト 『タロット占い師と呼ばれて』」編に続く