沈静化している心の埃を舞い上がらせる「ふきげんようワーク」

潤治の徒然草

昨日の「満月の瞑想会」は自分と向き合うきっかけになられた方もいたようです。

瞑想会と謳うには、若干の無理があったのではないかと反省しております。
感情を味わうワークが、楽しくて楽しくて切なくて愛しくて…。

普段、味わわないで済むならそうしておきたい感情を出し合うワークを皆でしていきます。

もちろん、僕と寛子が率先して出していきます。
それに触発されるなら、皆そうしてくれればいいなぁくらいの氣持ちです。

結果、修学旅行級の盛り上がりになりました(僕だけ?)。
8d6e90ac3bb63a002e99ee2afb5e05c4_s
「瞑想」をする前に、心の中にある沈静化している埃をはたきで舞い上がらせる必要があると僕は思っています。

僕は整体師でもあるので、身体の例で言うならば…。

同じ姿勢で長時間お仕事をされている方の頸・肩・腰などは常に負担がかかり、慢性的に血行が悪く、乳酸などの老廃物(発痛物質)が溜まっていることがよくあります。

通常、発痛物質が溜まると痛みに対して敏感になるものですが、慢性的にそのような状態が続くと身体がその痛みに慣れてしまい、感じなくなってしまうものです。
それなのに、強く揉んでしまうと、もみかえしとなります。

つまり、「痛みに慣れてしまい、鈍感になっている状態」です。

これ、健康でしょうか?

それと同様に、心も「老廃物が沈静化」している状態があります。

分かったつもり、忘れたつもり、解決したつもり、抑圧した感情は、
普段は痛みとして意識することはありません。

なぜなら、不快ですから。

おどろおどろしい偏見の数々、羞恥心、怖れや不安、嫉妬心や射幸心、差別や秘密、
贖罪の感情や原罪意識、虚栄心や内なる暴力性、自己憐憫、無理矢理のポジティブなどなど。

はたきで埃を充分に立ててから、瞑想をしていきます。

今回は「ふきげんようワーク」を行いました。

お昼の長寿番組「ごきげんよう」のように、それぞれのテーマを出たサイコロの目で決めていきます。

今回の項目は

  1. この人、バカなんじゃないの?(このバカぁ)
  2. 恥ずかしかった話(はずばなぁ)
  3. 自慢しても良いですか?(せんぱぁ~い)
  4. わたし、嫉妬してるんです!(わたSHIT!)
  5. 誰にも言えないわたしの秘密(ヒ・ミ・ツ)
  6. 許してください、こんなわたし!(ゆるこん!)

でした。

普段から僕たちは人を裁いたり、こうだ!と断定的に観ることが少なくありません(僕だけ?)。
そこを意識し、笑い、解していきます。

恥は無意識に僕たちを制限しています。
それは文化的なこともあるかもしれません。
恥のために切腹する文化すらあったのですから、日本は。

僕、こんなにすごいんだ!っと自慢できずに複雑に形を変えた表出はよくあります。
その自慢が何かの代償行為であることも多々あり、正直に人に自慢してみて氣づくこともあります。

嫉妬心は正直に感じられないと、人生を複雑にしてしまうと思います。
それが人生の導きになることも多いからです。
嫉妬なのか、羨望なのか、自分の未来の姿と思えるかはその人の自己肯定感に因ります。

秘密は所有の意識の亜種のように思います。
幼児でも早くから自分のものという所有の意識は働きます。
所有している優位性は本能的なよろこびを与えてくれるかもしれません。
しかし、同時にそれが制限となり、人とのつながりを阻害します。
等身大の自分を誰かと分かち合えることは、穏やかな氣持ちになれるでしょう。

許されたいという氣持ちは多かれ少なかれあるのではないでしょうか?
その感覚を得たいがためにわざと人を怒らせることはありますか?
自分の存在が「許されている」と思えれば、言い訳する必要も何かを自分に付け加えなくてもいいものです。

さてさて、今回はこのような項目でしたが、
皆さんがシェアしてくれたものは、それぞれの心に響きました。

「泊まりでやりたい!」「ずっとできるね、これ!」
「瞑想時間、少なくね?」「自分と向き合うきっかけになった!」

ふきげんようワークで埃が舞い上がり、各人に学びや氣づき、笑いや慈しみにつながればと思います。

次回は名称を変え、「満月のリリース、瞑想がおまけでついているよ!」くらいにしたいなと思います。瞑想CD の作成も取りかかるかもしれません。

タイトルとURLをコピーしました