「恋愛には中毒性がある」
…というのは、若き頃の僕自身が思ったことです。
恋愛はたしかに力を与えてくれるし、自分では感じ得ないものを味わわせてくれるものですし、恋愛初期の運気の良さや万能感は誰もが体験したことがあるのではないでしょうか?
しかしながら、恋愛はダークな一面も見せてくれます。
- 隠しきれない想い
- 抑えきれない衝動
- 叶わない恋
- 共に墜ちていくような感覚
- ふたりだけの秘密の共有
- 背徳をむさぼる快感
- 相手のために生きているという犠牲的な満足感
- 僕たちだけがピュアになっていくという差別心
- 迷いたい、壊したい、愛したいという破壊と創造への陶酔
と、詩的な感情、そこにダークな一面があるからこそ感じられるものに酔っている自分を思いかえすことができます。
隠された自己がその恋愛の方向性を決める?
恋愛をすると、自分の中で抑えていた、普段は感じないで済んだ「隠された自分」を味わうことがあります。
- 嫉妬深く、執着してしまう
- 相手が疲れていく、振り回してしまう
- 相手が変わっていくことを許せない
- 猜疑心がむくむくと湧き起こる
- 相手中心の世界になってしまう
- 依存心の強く、だらしない自分
- 相手のグレーゾーンが許せない
- すべて見せるから、すべて見せなさい
などと言った感覚に、抑えこんでいた自分が制御不能になることがあるかもしれません。
隠された自己を受けとめることは僕にとって厳しいものだったので、そこから逃避して甘美な妄想に耽りました。
つまり、日本語で言うところの「ロマンチスト」だったわけですね。
恋愛をする際に気をつけたいのが、このロマンチストだと思います。
それはとてもふたりの関係を美しいものに見せてくれるし、生きがいや幸福感も与えてくれますが、中毒性があります。
演じなくてもいいドラマの中で、まるで人生の最重要事項のようにその役を演じ続けることが僕たちに何を与えてくれるでしょうか。
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さて、僕が担当する、恋愛処方箋☆セキララレッスンでは、この中毒性を扱いながら、自分が本当に求めているもの、求めていたもの、求めていながら隠したいものなどを理解していきます。そこには、その人のドラマ(人生脚本)が隠れています。そのドラマの正当性を証明するために、こじれた恋愛、破壊的な恋愛、陶酔していく恋愛をする人も少なくありません。
まずは、恋愛に関する自分の傾向を知ることから始めましょう。