このところ、スピリチュアルマッサージのご要望が多く、白衣でいることがあります。
通常のサービスに「スピリチュアルマッサージ」はありますが、そのことを際だって告知することもないので、人は僕が整体師であることを忘れているような錯覚もしていました…。
筋肉はとても正直です。
その人の思考をそのまま表現しています。
また、見えないエネルギーに敏感です。
人の感情(怒り、悔しさ、憎しみ、嫉妬…などなど)は、人の身体に影響を与えます。
「視線が刺さる」という言葉がありますが、それはエネルギーが見えている感覚からの言葉かもしれません。「責任が肩に重くのしかかる」などもそうでしょうか。
くしゃみをすると「誰かが噂している??」や「魂が抜ける」などの説がありますが、何かしら感じていることからの迷信かもしれません。
身体はエネルギーにとても敏感で、施術する時はそれらのエネルギーを扱います。
筋肉が反応している箇所を優しく触れてあげるだけで、解き放たれたい感情がなだれ込んできます。その感情は施術される方のものもあれば、その人にエネルギーを向けている人たちのことも多く、身体が記憶している(過去生を含む)、察知しているものを感じながら、マッサージは続きます。
大人になると僕たちは「批評家」になっていきます。
それは評価されることを長い年数をかけて教えられるからだろうと思いますが、いつの間にか自分で自分を批評、評価していく習慣になるようです。
決めつけや答え探し、反省なども調教されてきました。
「なんで〇〇しなかったんだろう?」
「なんで〇〇しちゃったんだろう?」
…と過去に原因探しをして詰問する自分はいますか?
そうして、自分で自分を批評、評価する時、自分の身体を傷つけていることがあります。
自分で放った矢は自分に刺さります。(他人に放ったものでも…)
「自己虐待」ですね。
それをあたかも当然のように受け容れ、身体を傷つける思考が僕たちにはあるようです。
自分を問い詰めて、反省し、叱咤激励し、頑張り、無理をして、それでもそれを正当化し、再び頑張る…なんて無限のループにはまることもあります。
自分で自分の身体を傷つけて、そこにできた傷(欠乏意識など)を責め、そして埋めようとして頑張るなんて悲しい自己虐待です。
身体が悲鳴を上げていることはよくあり、それを鎮めるようなこともマッサージではしていきます。自己受容せずに、自己虐待し続ける「大人の思考」は僕たちの身体を追い込みます。
受け取ることを知らずに欲しがり、奪おうとする姿勢は「永遠の愛の彷徨」に誘うかもしれません。
ややもすれば、自分の身体をさらに痛めつけるようなことすらします。
「忙しさに身を置く」
「身体が嫌がることをする」
「義務や役割を自分に強いる」
「脳に直接悪影響を与えるものを身体に入れる」
「焦燥感の集合体の中に属する」
「自分に嘘をつき、その姿勢を正当化する」
などなど。
そうしていくことで、オーラも傷つき、直感を信頼できずに情報や他人の価値観に揺さぶられていくかもしれません。
自分らしく生きようと、自分らしくないこと(身体が重いこと)をし続けることもあるでしょうか。
思考や行動を抑制、促進させることよりも、身体を労ることがそれらのことを進ませるでしょう。
スピリチュアルマッサージはそのような一面を持ちます。
是非是非、身体のからのアプローチをしてみて下さいね。