ネット社会でのコミュニケーション「僕の存在自体が人を傷つける」

潤治の徒然草
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
「パートナーと紡ぐ、スピリチュアルな学び」以外に、天使と関わる仕事をしている方々が交代で執筆するリレーエッセイ「天使の旋律」7月度を潤治が担当します。7月7日(火)に掲載が予定されています。
癒しのポータルサイト:COCORiLA (ココリラ)
執筆者が次の執筆者へのお題を指定するという形式となります。
今回、僕へのお題は「ネット社会でのコミュニケーションについて天使からのアドバイス」です。
the guardian
パソコンやスマートフォンが家電のような扱いとなり、誰もが手にし、
当たり前のようにネット社会が広がっていきました。
Facebookでは、身近な人だけではなく、知り合いの人の生活が
(その人が投稿すれば)、知ることができます。
自分が何を考え、何をしているのか?どんなものが好きで、何が嫌いなのか?
何に興味を持ち、何を世界に発信したいのか?
…などなど
発信している人の言葉がそれを閲覧している人の人生に影響を与えるようなこともあります。
人との繋がりにおいて、スピリチュアルな常套句「ワンネス」というものがあります。
ネット社会はそのワンネスをインターネットというツールを使って実現するかのようです。
インターネットは「愛」も「怖れ」も増幅されて拡散していくように思います。
世界中が海でつながっているように、感情の波紋も広がっていくようなものでしょうか。
ある人の何気ない投稿がある人に大きな影響を与えることもあります。
感情的なエネルギーが乗っかっていれば尚更でしょう。

寛子と結婚し、数年が経った頃、周りから
「お子さんはいつ?」という他意の無い言葉をよく耳にしました。
アラフォーを向かえる段階になり、それは聞かなくなっていましたが、
僕たちの心の中にはあり、検査だけはいつか受けに行かなくてはと思っていました。
妊娠や出産のニュースに焦りや不安、自責や嫉妬、など
いろいろな感情が波立ちました。
ですから、同じように僕たちが子どものことやパートナーシップについて
発信する際、その投稿が人を傷つけていることもあるわけです。
僕たちの存在自体が人を傷つけているということです。
もちろん、その逆も多くあるでしょう。
しかし、その光によってできる影は意識する必要があると思います。
ネット社会が日常レベルにある昨今、多くの人を知る機会を得ます。
多くの人の考えを、気持ちを受け取ることもあります。
僕の発言が、ある人には光として届くことがあれば、
それによって生じる影を請け負う人もいるわけです。
喜びや感謝、慈しみとして届くこともあれば、
嫉妬や苛立ち、その人自身の自責や焦燥感として届くこともあるわけです。
ネット社会でのコミュニケーションは、
人がより研磨される機会と捉えています。
情報に惑わされたり、人の発信に感情がざわついたりすることで、
自分を観る機会が発生します。
「わたしは何を感じているのだろう?
その思いはどこから来るの?誰のもの?」
という問いが癒しや気づきを発生されば良いのですが、
次から次へとやって来るネット社会の情報や発信に、
「自分を見つめる機会」を失ってしまうかもしれません。
スマートフォンがもたらす便利さやそれを使っての繋がりは、
僕たちの人生の「空き時間」をまるで奪い取るかのように僕には感じられます。
せっかくの多くの人と交わり、傷ついて魂が研磨される機会も、
単なる「傷つけられた」「傷つけた」という
被害者意識や加害者というレッテルを貼る機会にしかならない可能性もあります。
自分の存在自体が人を傷つけているという考え方は僕のものです。
そして、傷つけ合うことが決して悪いことではないというものも同じです。
魂が研磨されるために、必要なことと思います。
傷つけること、傷つけ合うこと、怒ること、
が決して悪いことではないということを共有しました。
あくまでもその本当の意図や意味を知ろうとすることが大切です。
心がざわつく本当の意味は?
怒っている感情の向こう側にある感情は?
被害者でありたいと思う本当のメリットは?
しかし、その作業をひとりでするのは面倒なわけで…。
知らず知らずの内に、寄せては返すネット社会の感情の波
もてあそばれてしまうかもしれません。
今回のリレーエッセイ「天使の旋律」7月度、
掲載された「天使からのメッセージ」も楽しみにお読みいただければ幸いです。
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