パートナーシップは自分である理由を教えてくれる

今でこそ、多くの恋愛や結婚に関する講座、癒しのポータルサイト「COCORiLA ココリラ」にての寄稿、パートナーシップについてのご相談を受けるようになりましたが、若かりし頃の駄目さ加減は恥ずかしいものであり、今紡ぐ言葉の数々もおこがましいと言える経験もたくさんしてきました。

  • 言わなくてもわかってくれる
  • マザーテレサのようにどんな僕でも受け容れてくれる
  • 苦しい時は僕を支えてくれる
  • 無条件の愛情を与え続けてくれる
  • 同じ感覚を共有し、以心伝心でいられる

と大きな誤解をしていました(少なくても僕は)。

それは相手からの愛がなくなっていったり(そのように思ってしまう)、自分が不完全燃焼の人生をおくるようになったりした時、または愛が相手への期待や要求に変わった時に「どうして〇〇してくれないの?」という欲しがり屋さんに僕を変化させていきました。

「くれないの僕」です。
そして、くれない君はただのひと。

自分を見つめずに、自分が相手に何ができるかよりも、相手が僕にしてくれるものばかりに目がいき、それが僕の権利(愛の消費者)だとでも言うが如くに結婚や恋愛を考えていました。

残念ながら、そのような自己中心的な幻想を描き続けた恋愛も結婚もうまくいくわけはなく、離別を迎えることになりました。

そんな自分にとてつもなく嫌氣がさした時、「魂が成長するような、人間的に成長できるパートナーシップを生きたい!」と強く望みました。
もう一度、僕に機会を与えて欲しいと思ったのです。

しばらくして、全く予想もしない出逢いから、寛子との結婚生活が始まりました。
自分の人生を生きるというテーマと共に…。

愛し愛されるというつながりは、大きな幸福感をもたらしてくれます。
小さい頃に感じていた世界との親密感を再び手に入れるということでしょうか。

良い面も悪い面も含めて(ありのまま)、自分の心を相手に開き、その上で愛し愛される関係は何にも代えがたいものと僕自身は思います。

パートナーシップは二人三脚のようなものです。
それを不便さと思うか、親密さや面白さと思うかはその人の価値観かと思います。

ただ、今の世の中に浸透している個人主義のようなものがパートナーシップのデメリットを創り出しているように思います。(その価値観は誰のもの?)

今の日本の個人主義は商業的な戦略や戦後からのGHQ主導の日本精神の解体によるものです。
テレビも家族に1台から、各個人に1台、電話も一家に1台からひとりに1台以上、売る側からすれば消費者が増えたほうが売上はあがります。

戦中、日本精神は海外からは怖れられていましたが、戦後、2度と米国に立ち向かうことがないように日本人同士の信頼感(つながり)や誇りを自虐史観や教育によって弱体化させる米国の意図がありました。

つまり、僕たちの個人主義は「洗脳された消費者」のと言い替えられるかもしれません。

不安や怖れを感じながら、漂流し続ける個人が良い消費者となってくれるわけです。
不安や怖れを刺激する感情的なマーケティングによって消費は大きくなります。

家族を持つこと、パートナーを持つことは面倒なことかもしれません。
二人三脚で自由に走れない感覚は、もどかしさを感じるでしょう。
やりたいことをやりたいようにできないことも少なくありません。

しかし、自由とは何でしょうか?

束縛のない自由はただの漂流かもしれません。
無重力(重力からの解放)のような果てしない感覚は漠然とした不安、むなしさを覚えるかもしれません。

先ほど、パートナーシップを二人三脚に例えましたが、その束縛感はとてつもなくうっとうしく不便かもしれません。しかしながら、そのつながりの確かさや安定感、相乗効果、全く新しい視野が広がることも否めません。

それこそ、パートナーシップの醍醐味であり、「自」分である理「由」が理解していけるように思います。

「わたしを自由にしてくれる束縛は?」
「わたしの魂が望む自由とは何?」

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