夜明けのレッスン(17) 集団生活に馴染めない苦しみから…

トラウマ

今思えば「ADHD」「ナルコレプシー」と呼ばれる障害らしきものを抱えた私は、昔から集団生活に難ありでした。

2015年にアクセス・コンシャスネス®︎に出合ってから、大きく変化したものがたくさんあります。
そのうちの1つが、周りの「寛子さんから受講したいです」!と言ってくださる方々に背中を押されながら上級コースまで受講。自分にとっては心がついていかない時もあるほどの、かなりの早いペース。
私の今までの傾向と比べて、随分と違う行動をしています。

それでも基本的に、私は受講する講座は厳選に厳選を重ねます。

何故かといえば、実は人の講義を聴くのが昔から超苦手なのです。

学生時代は、授業中と言えば寝てるか内職するか遊んでるか早弁するか。
とてもマイペースな問題児でした。

中学高校では、厳しめの進学校だったこともあり、私の居眠りや授業を落ち着いて聞けない態度はとても目立ちました。
教卓前の席(通称アリーナ席、先生の目と手が届きやすい)にさせられたり、立たされたり、ベランダに出されたり。
それでも態度が変えられない私は、高3の時には教師に机を蹴っ飛ばされ「高橋(私の旧姓)、出て行け!」と教室を追い出されたり。これは卒業前の最後の極めつけ、さすがに自習室に逃げて1人泣いた…

と、実に色々ありました。

10代から20代前半までは、幸か不幸か発達障害や精神疾患などの診断からは無縁でしたが、続きがあります。

その症状は社会人になってもほとんど変わらず、新人研修もやはり睡魔に襲われていました。
やる気がないわけではないのに…(むしろやる気は、人一倍あったかと。)

それ以外にも、友人と会って話していても突然短時間の睡眠に入ってしまうこともちょくちょくありました。

今では「ADHD(注意欠如多動性障害)」や「ナルコレプシー(過眠障害)」と言う病名も知られるようになってきましたが、この症状だったかもと思い当たること多数です。

  • ADHD=多動性・ 衝動性と注意力の障害を特徴とする行動の障害
  • ナルコレプシー=睡眠障害の1つ。起きていられない過眠症とも言われるもの (参考リンク)

ということで、興味のあるもの何でも受講する!と言うわけにはいかない体質の私は、厳選に厳選を重ねるのです。

ここだけの話、2007年にドリーン・バーチューのエンジェル・セラピー・プラクティショナー®︎コースを受けに米国へ行ったときも、そうです。
やる気満々で最前列にいたのに睡魔に襲われ、休み時間にドリーンに「寛子は大丈夫なの?」と声をかけられてしまったほど。
ああ恥ずかしい。

社会人になり別の要素もいくつか合わさり、20代後半には会社で仕事にならない状態まで悪化していきました。
会社ではひたすら眠気、そのうち電車にも乗れない…

IT業界では職業病だといわれる「鬱」と診断され、数年にわたる通院と投薬、2回の休職をしました。
過眠と不眠を繰り返しました。
そのうち診断は「躁鬱」になりました。

今までの連載「夜明けのレッスン」でも書いていますが、その時期は本当に海の底にいるような暗闇でした。
明けない夜はない、なんて人の言葉が到底信じられず、そしてなによりも強烈な薬の副作用に苦しんだのでした。

私にとっては診断される前の時期はその症状ゆえに集団生活でメチャクチャ浮いて目立つ存在となりながらも、日常生活をすることが出来ました。今思えば、周りの環境や人に恵まれていたのだと思います。

しかし鬱と診断されてからは、生活そのものが無茶苦茶になっていったのです。

当時の苦しみから抜けるプロセスは、このシリーズ「夜明けのレッスン」に書いてきました。

今は「躁鬱だったんですか?」と驚かれるくらいです。

ADHDについては初めて知った時に、うちの実家の家族はみんな多動なのでは?なんて思ったものです。
(その後また新しい用語を覚えて、父は「アスペルガー」だろう、と家族満場一致)

ちなみに「ナルコレプシー」という睡眠障害を知ったのは、もう会社を辞めて独立したあとでした。

では、今、私が治ったとか、症状が出なくなったかと言うと、そうとは言えないですね。

その症状が出るような環境、生活スタイルを理解して極力避けているのです。
集団生活からは、すっかりドロップアウトしました。
新しく出合ったアクセス・コンシャスネスの講座でも、参加する講座を厳選することで意識が飛ぶことなく楽しんで参加しています。

そしてなにより、この10数年天使に導かれながら、自分のその症状に才能を見出し、活かす方に生き方をシフトさせたことでたどり着いた今なのです。

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