いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
このシリーズの完結編です。
誰もが持つと(潤治調べ)感じる「差別心」について、
多くの反響をいただきました。
いつもながら、ありがたく思います。
このブログも多くの方に読んでいただくことになり、つい、はしゃいでサブカルチャーネタを入れようとすると寛子にたしなまれてしまいます。そうした彼女のおかげで常にテーマ性がはっきりとしたブログになっていくのでした。
さて、僕が人生最安値だと思っていた時に、寛子と出逢い結婚をしたわけです。
夢を追いかけているという自分に全くの自信がなく、人生への信頼もなく、
セルフイメージは最悪でした。
世の中の「安定」という人参を目の前にぶら下げて生きている民とは違う…、
そのような選民意識を持つことでしか、
土台から崩れそうなプライドを維持することができませんでした。
米粒よりも小さな自分の存在に耐えられなくなっていたのですが、
その姿を見続ける寛子がいるので、逃避することも自分を誤魔化すこともできないわけです。
お話しを中心に男性を癒す夜の接客業の方々のもとに赴いて「社長さん、社長さん」と呼ばれて、不安どっぷりな自分を見ずにモルヒネのような痛み止めも打てない始末。
潤治、自分の姿を見続けなさい。
どんな情けない姿でも、わたしは見続けるわよ。
という寛子の覚悟と天使のサポートのおかげで、
選民意識によって薄皮一枚で保っていたプライドが崩れ去りました。
もっと体裁よく、恰好をつけていたかったのですが、
それが結局僕自身のためにならないと
逃げ道に仁王立ちしていてくれた寛子と天使たちに感謝しています。
窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず状態です。
僕、ひとりでは何もできない…ということを思い知らされたわけですね。
何もかも支えられている自分。
自分で何か成し遂げていることなどないじゃないか。
そう思い始めたとき、不思議な感覚がふいにやって来ました。
「ありがたいな」とういう感覚です。
自分ひとりで生きてきたというプライドのアクが取れ、
自分がいろいろな人の手によって生かされていることに気づいたのですね。
言葉では「生かされている」と、知ってるつもり状態でしたが、
ひとりでは生きていない…ということを自分の言葉にしてようやく心で理解できたわけです。
朝起きて、太陽が照っていることに感謝し、洋服を生産してくれた人たちに、
歯を磨こうとすれば水道を引いてくれた人たちに労い、
電車が定刻通りに動いていること、夜勤で線路を点検してくれた人たち、
朝早くから出勤して珈琲を用意してくれるお店の方々、舗装された道路…、
僕が一日生きていけるのはこうした周りの人たちのおかげであり、
また、過去に理想を持ちながら土に帰っていった先人たちの智恵や思いの上に
立たせてもらっているわけでもあります。
莫大な人たちのおかげで僕の1日は成り立っていることを肌で感じるようになりました。
過去記事…「想像力は果たして幸せをもたらすのか?3」参照
そうやって周りに感謝するようになっていくと、
不思議なことに自分のセルフイメージも上がっていきました。
それに引き替え自分は何もできないと自責することもありましたが、
支えられているということが腑に落ちてくるにしたがい、
そうしたベクトル自分向きの考え方は少なくなりました。
僕のセルフイメージが低かったのは、
すでにある幸せを受け取らずに、何かを奪おうと必死だったわけですね。
周りに起こるすべてのことに対して、感謝が多くなればなるほど、
僕のセルフイメージは同じく大きくなっていきました。
「すべてはつながっている」というスピリチュアルな教えは、
僕にとって泥臭い学びから体感することができたのでした。
その頃から、「ありがたい、ありがとう」という言葉が口癖になり、
一日の思考の大半を感謝で埋め尽くすことができるようになっていきました。
過去記事…「想像力は果たして幸せをもたらすのか?3」参照
遠回りのように見えた道こそ、僕にとって近道だったというわけです。
残念ながら近道のように見えた道は、目的地に到達できなかったようです。
道中をもっと楽しめれば良かったのですがw、渦中にいるとそうはいかないようです。
差別心や選民意識はすべてのものに感謝できない臆病な自分の言い分けでした。
セルフイメージを上げるとは、周りで起こっている奇跡に感謝することなのかもしれません。
続きは人生の豊かさを受け取るセンスを磨くプロフェッショナル養成コースにて。
感謝するに値するものがないのではない。
感謝するに値するものを、気がつかないでいるのだ。
中村天風
物質的な富はもちろんのこと、あらゆる豊かさに感謝しなさい。
そうした態度は潜在意識に刻印され、あなたをますます豊かにします。
ジョセフ・マーフィー