いのちをたべる(2)

健康・美容

寝不足です・・・寛子です。睡眠4時間もとれませんでしたふらふら
何故って昨日の「いのちをたべる(1)」を書いたら、天使たち、妖精たち、精霊たち、大喜びで寝かしてくれないのあせあせ(飛び散る汗)

タブーと言うのは、古来から権威にとって不都合な真実が偽られていることが多いです。
例えば、「4」、「9」、「13」は縁起が悪い数字と言われますが、実はパワーある数字だからこそ一般人が使わないようにと、タブーとして封印されたという話もあります。

そうだよね~、シンクロニシティにのる宇宙のリズムは、13か月だし・・・。
だから、真実を語ることは、天使たち高次元の存在が喜ぶツボなんですよねダッシュ(走り出すさま)

今日はマヤの神聖暦 260日周期のツォルキンのバースディの私は富士山麓の精霊たちに挨拶に行くのに、もぅ~失恋

ということで、今日も「死」のタブーについて書きたいと思います。

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R0012721.JPG大切な仲間ウッチーの企画「“命を食べる”人生ワークショップ」の会場は、ウッチーとコ・リードする加藤大吾(だいご)さんの自然の中にある自宅(山梨県都留市)。
廃材を利用した手作りの家など興味津々の、森の生活が営まれている”かとうさんち”です。
ここで、1泊2日のワークショップです。

 

昼過ぎに到着して山を登っていく。そこは山を切り開いて道も作ったというから、驚きです。
そう、そこでは私たちが当たり前と思って意識もしなくなっていたことを、改めて意識するものが満載。
そうだよね~、誰かが山を切り開き、畑が出来たり、家が出来たり。
道だって、そうなんだ。家だって、そうなんだ。

そして自然の中の鶏舎へ。

まずは餌やりです。
だいごの鶏たちは、食肉用として飼っているわけではありません。
主に卵をいただいているそうです。何種類かの鶏がいます。

今回のワークショップでは、特別に鶏をさばくのです。
私の知り合いのコーチング仲間も数名、近くの大学生や、親子参加までいらっしゃいます。

だいごの鶏の説明を聞きながら、餌やり。
手から食べてもらいます。掌がついばまれて痛いよぉ。
痛くするのもいれば、くすぐったいのもいる。
食べかたに個性が。

ここの鶏たちは、放し飼いされています。
餌の時間と夕方以降は、鶏舎に戻ってくるそうです。
私たちが餌をやり終わると、みな自由に外を駆け回っていました。
外でも、虫などを食べて健康そのもの。
私は小学時代に、養豚、牛、鶏全てがそろっている地域(神奈川県綾瀬市・高座豚が有名)に住んでいたことがありましたが、こういう恵まれた環境に住んでいる鶏は希でした。(ゼロではありませんが)
産みたて卵を買いに行っていた、卵の自動販売機のあった養鶏場。
狭い鶏舎に、ニワトリが並べられて自由に移動は出来ません。目の前にある餌をついばみ、その場で卵を産む。機械的な印象をもったのでした。

しかし、元スーパーの店員で食の裏事情に詳しい潤治の話だと、今の鶏舎は一切見せない状態になっているそうです。
見せられない状態・・・それは、ニワトリを引き取ってきただいごからも、1日目の夜に語られましたので、追って書きますね。
R0012729.JPGニワトリたちが自由に山を駆け回っている間、私たちは薪割りです。
←大きく振りかぶっている私。えいや~!ガスッ。
いや~全身運動だ手(グー)

以前も”焚火塾”という野外ワークショップに参加した時に薪割りをして焚火どんっ(衝撃)を育てたんですが・・・
今はスイッチポンひらめきで暖をとれる世の中。

けれども、私たちの親が子供の頃は薪のお風呂や火鉢が当たり前だったんですよね。たまに話を聞く機会があります。
その暖も森の営みから得られるということを、薪→木→森の命から得られるものだということを、肌で痛感します。
全ての生きとし生けるものに、生かされている私たち。

ほんのちょっと昔は当たり前だったのに、都会の生活では私たちが忘れてしまいがちな感覚が、この森の生活にはあります。
便利な生活、文明の利器の裏側には、失われた繋がり意識、命への畏敬の念、感謝など様々あるのかもしれませんね。
ひと仕事を終えてから、敷地内のキノコを採取したり、参加者の自己紹介をしたりして過ごしているうちに夕方。
ニワトリたちが鶏舎に帰ってくる時間帯です。

この後、このワークショップの一番の目的、いのちをいただくために、鶏を絞めます。だいごからはどの鶏を絞めるのかは聞いていませんでしたが、2羽だという話でした。
ニワトリたちがほぼ鶏舎に戻ってきて、いよいよとみんなの気持ちもなんだかそわそわしてくる中。
だいご「戻ってこない!」

なんと、だいごが(今日はこのニワトリを絞めよう)と決めていた子の1羽が、戻ってこないのです。
だいごもちょっと動揺しているし、ザワザワザワ・・・騒然とする場。ワークショップが進まないかも・・・と、だいごは思ったそうです。
だいごは誰にも、どの鶏を絞めるとは話していませんでした。
けれども、決める心は波動となって周りに伝わります。(先日の「素敵な約束の習慣」でも触れました)
「ニワトリ、自分なんだってわかってるんだよね。心の準備が出来てないの」と私。
また周りがザワザワ。
・・・私がこういうスピリチュアル、自然と繋がることを仕事をしているのはみんな知っているので、とても信憑性があったみたいで・爆

でも、そうなんです。

誰に言わなくても、決めたこと、決心は波動となって、周囲に、自然に、宇宙に伝わっていきます。
ちょっと悩んでいただいごですが、他の鶏にするという案はやめたようです。

全員+犬1匹で、ニワトリ捜索開始。
そのニワトリを探しながら、ニワトリの気持ちをリーディングする私。
逃げているのは、死への怖れではありません。生への執着でした。
「死への怖れ」があるから「生に執着」するではないというのが、人間にはピンとこないかもしれません。
人間の場合は、死への怖れという偽りの死生観があるから、生に執着する場合も少なくありません。
彼らにとって、死は怖れるものではない、ということがよく伝わってきました。
どうして生に執着したのか・・・それも、あとで理解することになります。
(その3に続く)

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