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男女の違いはめんどうですか?
僕たち夫婦は「AQUAMIXT」というセラピーサロンを立ち上げ、一緒に仕事をして、十数年間、年中一緒にいます。
朝もミーティングやお互いのアファメーションを共有することから始まります。
同僚であり、好敵手であり、相方であり、妻であり、ママであり、同志、戦友…。
一緒に顔を合わせていれば、意見の食い違い、価値観の違いなどが生じ、ちょっとした喧嘩が多いように思います。
「小さなことから大きなことまで、日常的に喧嘩をしている」
と僕たち夫婦の日常会話を見た人は思うかもしれません。
深いところでは一致するものがありますが、ちょっとした違いは星の数ほどあります。
(「喧嘩」という定義がちょっと違うかもしれませんね。)
ものの見方が違うので、同じものを見ても反応や感想が違うので戸惑います。
お互いのペースやタイミングも違うので、それにも苛立つことがあります。
あなたは、誰かと密に接していて、あなたはそのようなことを思うことはありますか?
人は親密さを求めながらもそれを手に入れることを怖れる傾向があります。
それは、親密になろうとして、傷ついたことがあるからです。
我が家の「めんどくさい」の一例
日常のお話なのですが、
僕はトイレットペーパーが無くなれば、その場で替えます。
それは次の人のためです。
次の人が使っているうちに確実になくなりそうであれば、
ロールにちょっと紙が残っていても交換します。
それは次の人のためですね。
いつの間にかこうすることが習慣になっている自分に気づいたわけですから、
僕はずっと昔からそうしてきたのでしょう。
自分以外の人と一緒に暮らすということは、
ちょっとした自分が大切にしてきたことに気づくことにもつながるし、
その大切にしてきたものが、(残念ながら)他人にはどうでもいいことだと知る機会にもなります。
妻にとってトイレットペーパーを替えるということはどうでもいいことなので、
僕が入ってから、「あ、トイレットペーパーが芯だけ!」ということが幾度もありました。
彼女にとって、自分の番でトイレットペーパーがなければ自分で替えるだけのことなのです。
僕にとっては、次の人のためにトイレットペーパーを替えておくことはとても大切だと思い続けてきたことでした。それをしないことは次の人のことを考えていない行為と自分に言い聞かせてきました。
そうして、トイレットペーパーを替えることの重要性を自分で自分にすりこんできたのかもしれません。
ですから、妻がトイレットペーパーを替えないことで、
僕は僕の大切にしてきたものを否定されたと感じるわけです。
わたしは否定された?
誰かと密に接していると、相手のほんの些細な言動に
「わたしは否定された?」
と思うことはよくあります。
その勝手に自分で創り出した痛みに耐えられずに人と距離を置いてしまうこともあるでしょうか。
それか、一緒に暮らすのであれば、お互いのルールを作って同意を得ていくか…。
(ちょっとした禁止令やルールは破りたくなってしまうのが人の心理です)
「言っても分かってくれない」
「どうせ言っても仕方ない」
という領域で、お互いに干渉し合わないという策もありますね。
(不可侵条約を締結するという感じでしょうか)
我が家の場合、一緒にいる時間が多いので、
ルールだと縛られている感じに耐えられないし、
お互い不干渉というほど距離を置くこともできません。
結局、器の小さな男と思われるかもしれないけど、
「トイレットペーパーを替えることを大切にしてきた僕の物語」
を共有し、そこに隠された「頑張ってきた自分」「やらなければならないことをしてきた自分」を慰めることになるわけです。
(恥ずかしいです。)
したくはないのに自分に強いてきた、いつの間にか自分の一部にしてしまった価値観は多いものです。
夫婦喧嘩はそういう放っておいてもいいけど、それを表に出して癒すことで人生が軽やかになることに気づかせてくれます。
しかし、トイレットペーパーを替えてくれないあなたに傷つくわ、なんて格好悪くて…なかなか伝えられませんよ…(苦笑)。