先日、9月24日(土)に アクセス・バーバル「セクシャリティとリレーションシップ」が開催されました。
セクシャリティと向き合うことは自分の「受け取る」姿勢を直視することになると僕自身は感じています。
それをパートナーは応援してくれますか?
例えば、セックスなら身体を使って相手とつながることになります。自分の身体とつながっていない者同士がセックスという手段を使って相手を理解しよう、与えよう、慈しもうと思っても、自分の身体が何を求めているのかわからない同士のそれはすれ違いになりやすいかもしれません。
最初はそれでも相手への感謝や伝えたいという氣持ちがその違和感を凌駕するのかもしれません。
しかし、ほんの少しの違和感があったとしたら、それはどのように処理されるのでしょうか?
相手の心変わり?
自分自身の変化?
元々違うものを見ていたという合理化?
ドラマのように結論づける?
自分のせい?相手のせい?
違和感は自分自身を理解するためのサインと言えるでしょうか。
違和感を大切にしていますか?抑え込んでいますか?
その違和感を理解しようとすることは相手との関係(リレーションシップ)を深めていくことになると思います。
それをお互いに見つめようとするところにふたりの成長があるかもしれないと僕自身は思います。
そのあたりはクラスでもシェアすることになりました。(このクラスはまた開催する予定です。)
ふたりの成長は二人三脚のようなものですから、ふたりがそれを受け容れる必要ながあると僕自身は思います。
相手が変わることを「怖い」を思うことはありますか?
ヒューマノイドの女性は「変わること」が好きだそうです。
変化の中にいたいのかもしれませんね。次から次への変化していく彼女の様子は「現状維持」が好きな男性にはワクワクを通り越してビクビクかもしれません。
僕自身がそうですから。
さて、変化を好む女性をどうにかして「変わらない」状態にとどまらせておきたい男性がいます。僕ですw。
「おまえが変わらないためだったら、オレは何でもするぜ!」
このような言い方がどうかわかりませんが、それを暗に伝えている場合が多々あります。
例えば(潤治の例だけではなく)、
- 外での仕事をこなし、家事もできるだけしてくれる。休日は家族のために自分の趣味を封印し、妙なテンションで家族を思いやる。張り切っているのかヤケになっているのか。
- そうして自分を囚われの身にして、その頑張りをパートナーにもプレッシャーとして与える。(専業主婦なら後ろめたさも感じてしまうかも?)
- 家のこともしっかりできないで、外で働く、資格を取る、夢を追いかけるなんて無茶なことを考えるなと暗にほのめかす。
- パートナーの好奇心やワクワクを潰しにかかる。その時、彼は批評家になる。「そんなことしても意味あるの?」「無駄じゃない?」「家のことはどうすんだよ!」
- 僕がこんなに弱いのに、キミは僕を見捨てるの?とできないフリ、ダメ男のフリをする。置いていくパートナーに罪悪感を持たせようとする。なんだったら、子どもも人質にとる。「この子はどうするんだよ!」
- 子どもの教育や家のローン、親戚や家族の体調、もう、何でも使えるものは使って、パートナーの成長や変化を留めておこうとする。「脅迫」と捉えても結構ですけど!
などなど、いろいろな「脅迫」がありますw。
セクシャリティとリレーションシップがお互いを成長、変化させていくものなのか?じっくりと感じる機会になります。
自分を責めず、物事をありのまま見られるために、わたしたちは何ができるでしょうか?
パートナーを脅迫しない自分になるためには、どんなエナジー・スペース・コンシャスネスであればいい?