AQUAMIXTは、僕と寛子のふたりで運営するセラピーサロンです。
結婚16年目の僕たちふたりは、仕事仲間、同僚でもあるわけです。
夫婦喧嘩のタネも生活上のことから仕事のことと多岐にわたります。
ですから、お互いの意見や価値観、本音をぶつけ合うことは避けられませんでした。お互いの意見をテーブルにのせて、解決していかないと仕事に影響があるので、避けられないわけです。
「ちょっと、タバコ買ってくる…。」と行って、外に出て行くドラマのワンシーンのようなことができないし、「子どもの前だろ?自分の感情をあらわにするんじゃないよ。」などと大人ぶって、いかにも正当な意見をぶつけて事態を収束したふりをすることもできません。
取り繕うことも、見せかけることも、すべては仕事の成果、収入に関わっていきます。
夫婦各人が、自分自身に正直であり続けないと、収入は上がっていかないわけです。
そのおかげで、現実逃避癖・パートナーから逃げる癖がある僕も精神的に強くなれたし、魂が磨かれる結果となりました。
「君は僕といないほうが幸せになれるんだ…。」
とあなたのことを想っている風で別れることも、
「君は大丈夫、ひとりで生きていけるよ。」
とあなたを見守っているからという体で別れることも、
「僕たちはもう十分に愛し合ったんだよ。」
と達成感という綺麗な言葉でつじつま合わせをして解消することも、
そのように多々、女性と別れてきた僕も、その手を使えずに、自分の感情と向き合い続けるしかありませんでした。
姑息な自分をいい人にしながら別れるという手段は、寛子とのパートナーシップでは全く通用しなかったわけです。
僕自身が、「魂が成長できるパートナーと結婚して、生きていきたい!」」と神さまにお願いしていたから…w。
ですので、常に自分が映し出される鏡(寛子)を前に、意見や価値観のすりあわせ、自分が本当は何をしたいのか?相手に何をして欲しいのか?過去の傷や悲しみと向き合うことになってわけです。
娘の小葉が生まれてきて、さらに複雑に自分の癒されていない感情があぶり出され、鏡(寛子と小葉)の前で真っ裸になるしかありませんでした。
おかげで、逃避癖のあった時より少しは自分とパートナーが本当は何を言いたいのか知ることができるようになりました。
つまらないプライドが邪魔することも、少しは減りました。
- 自分が蔑ろにされている時に寂しいと思うことも…
- 相手が無視していると勝手に被害者になる自分も
- 僕のことを大事にして欲しいと言いたいけど言えない自分も
- どうしたら、あなたを愛していることになるのと彷徨う自分も
- 相手の一言で自分の過去を否定されているように感じることも
- 頑張った自分を認めて欲しい氣持ち
- 甘えたい氣持ちをぶつけたくなることも
- あなたの不安を否定しないでと言いたくなることも
- 愛を拒否しないで欲しいと自分にツッコミを入れることも
少しはできるようになりました…。
パートナーとの成長曲線は、2次関数のように時間と共に得るものが多くなっていきます。
この世には愛しかないのでは?と猜疑心たっぷりに行きつ戻りつ思えるのも、多くの豊かさを味わえているのも、神さまが用意してくれたこの背水の陣のおかげ?かもしれませんw。
愛を拒否している自分はいますか?