おはようございます、AQUA MIXT 潤治です。
ここ数週間、とても静かで凪のような日々をおくっています。
淡々とした行動の中に、静かな心が存在しています。
秋の夜長のせいかもしれません。
夫婦ふたりでいるときでも、まるでひとりの時間のように過ごすことが日常的にあります。
ふたりでも心地の良い沈黙の時間が流れ、お互いが読書をし、ただ、相手の存在を感じているという感覚…、そうして、秋の夜長は静かに過ぎていきます。
夫婦なのだから、当然かもしれません。
でも、昔はふたりの中にある沈黙が嫌いでした。
同時に、誰かとコミュニケーションをとっても、沈黙に耐えられない自分がいました。
今、相手が何を考えているのか?
そのことで不安になることがありました。
「今、何考えている?」と相手に訊くこともありました。
それは何のための質問?と今では思いますが…。
→自分のため…
相手が何を考えているのか?を思い巡らすなんて、意味の無いことだと感じています。
相手の思考はコントロールできないものだからです。
それよりも自分が自分のことをどう思っているのか?
に意識を向けたほうがより心は穏やかになるように思います。
今、自分は悲しんでいる
今、自分は嫉妬を感じている
今、自分は口惜しいと思っている
今、感情から逃げようとして無感情を選ぼうとしている
そうした自分を監視する「自分モニター」を
自らの中に作り出すと心はとても穏やかです。
物事に「反応」するのではなく、「対応」するようになるからです。
洞察力が行動をサポートするからと言えるかもしれません。
自分の中の不安がコミュニケーションを急がせることがあります。
相手が何を考えているのか…確認したいという思いが、
相手のペースを観るゆとりを奪います。
納得したい自分>相手のペース ということですね。
相手が話したいと思うまでの時間
相手があることを受け容れ、表に出すまでの時間
相手が感情を感じるまでの時間
それらは相手のペースを受け容れ、相手を待つことで感じることができます。
どうしても、コミュニケーションを急いでしまうと、
納得したい自分が先回りをして、
「せっかちコミュニケーション」行動を促します。
しかしながら…
相手は話したい時に話すだろうし、相手が自分に何か望むなら、
その望む時に、望むことをすればいいだけです。
相手の望みに考えをめぐらせることはいけないことではありませんが、
先回りしすぎて、「今、そこにいる相手」 を
丁寧に観ることはできなくなるかもしれません。
なので、僕自身は昔の恋愛のように、相手のゆっくりなペースを待ちきれずに、
納得したい自分を優先しすぎて自爆というコミュニケーションも失くなりました。
「何、考えているの?」
「別に何考えててもいいじゃない?」
「何考えているか気になるじゃん?」
「何も考えていないよ!」
「嘘だぁ、何か考えていたじゃん!言ってよ。
何かあるんなら、力になれるかもしれないじゃん!」
という相手を思っているようで、GIVE ME チョコレート 状態です。
ああ、恥ずかしい。
あなたの持ち場に戻りなさい状態です。
自分の心を穏やかに保つことが、
周りの人たちとのコミュニケーションを豊かにすると今では思います。
しかし、それと同じくらい「せっかちコミュニケーション」を促進させるものも多いです。
それはまた次回「SLOW LIFE、SLOW LOVE…(2)」 にて。