いつの間にか周りからはストイックなベジタリアンだと思われている潤治です。
いつもブログをお読みいただき、本当にありがとうございます。
デトックスランチレッスン【菜食インド料理編】が開催され、自分で食べるものを自分で作る喜びを共有させていただきました。
いつもレッスンのような料理が我が家の食卓に並ぶと思われがちですが、実際は一汁一菜です。
3分搗き玄米、お味噌汁、野菜料理一品(これもある時と無い時が…)。
一汁一菜が普段の食卓です。
納豆には小葱は欠かせませんし、生姜は自分ですらないと納得がいきません。
海苔は極上海苔を、生醤油を昆布やスパイスなどを使って排毒醤油にしています。
出汁はしっかりと取り、一日分のお出汁を使い回します。
お味噌は手作りのもの、油も自然圧搾のものを。
胡麻はすり立てを、あおさやわかめの海産物は日常的に食します。
地場産の野菜があれば使いますが、スーパーマーケットの野菜もありがたく使います。
その際にレモン精油やキパワーソルトを入れた水で野菜を浸しておくこともあります。
農薬を排除するためですね。でも、神経質にはなりません。
その農薬を凝縮した形で食べるようなお肉・魚・乳製品を摂ることがないからですね。
あくまでも心地良いことが最優先です。
ベジタリアンは目指すものではなく、メニューの選択肢のひとつであり、
その割合が人によって変化するだけだと僕たちは思っています。
気がついたら、お肉は食べなくなったね、焼き魚が食卓に出なくなった、という変化です。
マタニティ期や授乳期のママさんもランチレッスンにお越しになることが増えました。
小葉がいるおかげですね。
「カレーは食べてはいけない。」
カレー(市販のルー使ったやつ)を食べるとおっぱいがつまるし、
胃がムカムカするしで、
そういう固定観念が私の中で出来上がっていました。
でも、本当はカレーが食べたかったんです!!!
それなら、自分で身体にやさしいカレーを作れば良いんだ、
となぜ今まで気づかなかったんでしょうか!?
至極単純明快なことに、気づかされたレッスンでした。
妊娠中からそうだったのですが、
私の食事は「○×は食べてはいけない」という禁止令に支配されていました。
しかも、それを厳密に守れるような精神力もなく、
たまに食べて罪悪感に陥るという。。。
潤治さんや寛子さんの食事に対する態度を伺っていると、
そこが軟化してきますね。
もっとポジティブに、食にこだわって行きたいと思います。
(R.H さま 女性)
子どものため(おっぱいのため)を思って、菜食を心がけている方も多く、
結果的にベジタリアンにならざるを得ない場合も多々あります。
そのご苦労は想像を超えています。
自分の身体だけど自分だけの身体ではない、ということを自分の身体で感じ、
時として罪悪感を感じ、責任を背負うママさんの葛藤は計り知れません。
ベジタリアンを目指す人の中には
「痛みの幸福」を感じている人もいると僕は思っています。
「それは食べちゃだめだ!」
「そんなものを食べているの?」と怪訝な顔をするベジタリアンもいます。
我慢の反動ですね。
なぜ、我慢するのか?
そこに何かしらのメリットが無ければ、人は動きません。
そのメリット…。
僕はそれを「痛みの幸福」と呼んでいます。
健康的な食生活を我慢しながらも続けている自分は、
少なくても、それをしない人よりも人生をきちんと生きている
と自分に言い聞かせているかもしれません。
小学生の頃、自習の時間にやたら注意する女の子がいました。
「水本君、席についてください!ちゃんと自習してください!」
「先生がいないからってふざけないでください!」
と彼女は席に着き、自習をしていましたが、注意することに忙しそうでした。
ひょっとしたら、彼女も「痛みの幸福」を感じていたのかもしれません。
「自分だって遊びたいんだろう?一緒にトランプしようよ。」と誘った時に、
垣間見た彼女のテンションが上がる瞬間を見逃してはいませんでした。
残念ながら、いっそう注意され、挙げ句の果てには、
後で告げ口されてこっぴどく先生に怒られるという憂き目に遭いました…。
子どもの頃の教室のワンシーンが大人になると
さらに複雑に表出するのだといろいろなシーンで思います。
痛みの幸福はいつの間にか自分の心にも滑り込むので、
僕自身、注意したいなと思います。