先日、開催された「アースエンジェル取扱説明書」。
参加された皆さん同士でこの世界での生きづらさ、疑問や憤りなどを共有しました。
どうしてこの人はそんなことするんだろう?
と思ったことがあなたにはありますか?
「こんなところでゴミを捨てるのはなんでだろう?」
「並んでいるのに、横入りしてくるのはなんでだろう?」
「上司や同僚がわたしだけに感情的になるのはなんでだろう?」
「車間距離を縮めて、後ろから煽ってくるのはなんでだろう?」
「追い越したって信号につかまるのになんでだろう?」
「みんな仲良くすればイイのにトラブルを起こそうとするのはなんでだろう?」
「その場にいない人の悪口で盛り上がるのなんでだろう?」
などなど。
(テツandトモ風にアレンジしてもいいかもしれません。)
その「なんでだろう?」がアースエンジェルの疑問であり、
それをどうにかして解消しようとするパワーや忍耐力があるのも、彼らの特徴です。
理解できず、良い方向に導くこともできなければ、自責と劣等感に苛まれるでしょうね。
「まだまだ、わたしは我慢が足りない、工夫が足りない。」
「もっと上手な言い方があったのだろう。」
「そのために何か勉強すること、学ぶことはないだろうか?」
「わたしの何が原因でこの現実を引き寄せているのだろう?」
「わたしの何が悪くて、何が足りないのだろう?」
スピリチュアルと自責がコラボレーションして、
「スピリチュアル自責」のできあがりです。
「わたしの何がこの現実を引き寄せているのだろう?」
「この人のために、わたしは何ができるのだろう?」
「過去生で何か因果があるのだろうか?それを解消するためには?」
「わたしから何か靈的なものを飛ばしてしまっているのかも?」
このスピリチュアル自責はいっそうアースエンジェルを暗闇に招き入れるかもしれません。
スピリチュアル自責に因る自尊心の低下、自己を見失う感覚は、
アースエンジェルではない学びの人たちとこの世界にいると
あらゆる場面でパワー負けするように僕自身は思います。
良い悪いも関係なく、誤解を怖れずに言うと…
真っ直ぐに損得勘定や射幸心、勝敗や虚栄心、支配欲求に注力している人たちには、
独特のパワーがあります。猜疑心や罪悪感がその前進を阻むことが少ないからです。
疑いの無いエゴのパワーはこの物質的な世界で
多くのものを実現していく能力があると僕自身は思います。
世の中は駄々をこねたほうが勝ち
被害者と手を挙げた者勝ち
バカ正直は損するばかり
優しさや甘さにつけ込んでやれ
理論武装して言いくるめてやるぜ
ずるしてでも結果が勝ちならそれでいい
人を感情的に脅迫することの何が悪いの?
次世代なんて関係ねぇ、どうせ自分は死んじまうから
結局、物欲が人の本性だろう?うまく利用してやるぜ
エゴに忠実な「日向小次郎ばりの直進的なドリブル(※)」は、
この物質的な世界で多くのことを実現させていくと思います。
※【潤治メモ:日向小次郎のドリブル】
漫画「キャプテン翼」に出てくる主人公 翼のライバル。
天才型の翼に対し、努力型の天才ストライカーである。
なぜかユニフォームの袖を肩までまくるという癖があり、
ランニングにすればと多くの場面で思わせた。
また、海の浅瀬で波を蹴り上げるという独特のトレーニングをし、
若干の方向性に疑問を持たせながらも、 強靱な肉体を作ることに余念が無かった。
その強靱な足腰から繰り出される直線的なドリブルを得意とする。
ちなみに今年8月17日(月)で46歳を迎えることになる。…現在彼はサッカー界から身を引き、今では横浜で人力車を引いている。
持ち前の強靱な足腰はこのためだったのかもしれない。(潤治創作)
「じゃあ、アースエンジェルは人間界の劣等品種だというのかぁ~!」
と、どしゃ降りの中で映画「プラトーン」ばりの僕の叫びは無駄なのか?
いやいや、すでにボタンの掛け違い、登る土俵違いが起こっています。
少数派のアースエンジェルの思いが、
その他大勢の「一般的な価値観」に呑み込まれてしまっているだけです。
アースエンジェルたちはその価値観や常識、感覚を真似ようと、
幼い頃から迎合していったかもしれません。
本来のパワーを取り戻し、全く違う価値観を実践していくためには、
視点や思考の拡大、認知療法wが必要なのかも。
多くの人はテレビやコマーシャル、ニュースなどで
自分の意にそぐわない認知療法をしていますが…何か?
「アースエンジェル取扱説明書」は
次回、7月5日(火)お昼時に下北沢「ディージャン!!」で開催します。
ご一緒できるとうれしいなぁって思うの。