「わたし、あまりテレビを観ないんで…。」
「うちにはテレビが無いんです。」
スピリチュアルなことを生業にしているから、こうした人たちに出会うわけではないと思いますが、テレビを観ない人が周りに多いのは、十数年前に比べるとかなりいるように思います。
心理療法の中には、メディアから遠ざかるというプロセスを踏むものもあります。
メディアに触れ続けることで、誰かの持ち込んだ価値観や情報がその人の認知に大きな影響力を持つからです。
特に、自己肯定感に低い状態に陥っている場合、無条件にその情報や価値観を受け取り、自身の意思決定に関わってしまうようです。
それが本当に自分が欲しているもの?喜ぶもの?と自問する時間は必要かもしれません。
キムタク(木村拓哉)の出ているドラマを観ては彼の身につけているもの、仕草を自分のものにしようとした、無いものねだりの自分が懐かしいです。
足が短いくせにエンジニアブーツを履き、頭のハチが大きいのに白いタオルを頭に巻き、喧嘩もしないのにバタフライナイフを友人とふたりでひとつ買い、PORTERタンカーに似たへんてこりんなカバンを買い、ラブジェネレーションごっこをしていたわけで…。
もう、メディアのマリオネット状態です。
自問しないでいると、運転席に座っているのは、メディアであり、自分自身はその助手席であれやこれやと不満や批評をしているという人生を歩むということになるかもしれない。
テレビを観ていると、コマーシャルが多いがその組み合わせも要チェックです。
スポンサーがその番組内容から購買につながるようにコマーシャルを作っているのは当たり前だと思いますが、いかがでしょうか。
いかに世の中では怖いことが起こっているのか、ということを知らしめる番組内容の後、「保険」「薬」「介護」などのコマーシャルは効果的に購買意欲をかき立てるでしょう。
「あなたはもう使っている?」
「これがあれば安心!」
「これを使うとこうなれる!」
「みんなこうしているよ!あなたはいつ?」
「これを買わないと損をする!」
コマーシャルを観ながら、以上のセリフを当てはめてみよう(潤治談)。
さて、メディアの影響を微塵も受けずに生きることは不可能であり、今ではFacebookなどのSNSなどの普及でますます自分の心は忙しくなるかもしれません。
「本当に、それが必要?」
「それは本当に自分の望み?」
「なりたいって思い、誰のもの?」
「それは何のため、誰のため?」
自分に効果的に問いかけることで、自分の本意が見えてくるでしょうか?
もっと使わせろ!捨てさせろ!無駄使いさせろ!混乱を創り出せ!…
などなど電通の消費戦略十訓は有名なお話かと思います。
流行遅れにさせ、きっかけを常に投じ続けられることで、一時の感情で僕たちは企業にとって都合の良い消費者になるわけです。
メディアをちょっとした「プロレス(台本のある格闘技)」と捉えられると無駄なエネルギーも、感情の浪費も、正当化の理論武装も必要なくなると思います。
ライフパーパス(人生の目的)を歩んでいるとその茶番に右往左往することはありません。ただ、そのような作為があり、表出するものがあると客観的に物事を観られるでしょうか。
不安になることも、無駄な怒りを感じることも、損をすることも、罪悪感に苛まれることも、流行遅れになることも…、そのような創り上げられたまぼろしに人生は左右されません。
その代わり、自分でハンドルを持たないといけないわけですが…。
どちらが好みですか?