「好きを仕事に。」というキャッチフレーズを目にすることが増えました。
好きなことを仕事にできたら、素晴らしいし、毎日を感謝と愛情表現の場として仕事に従事できたら、それは素晴らしいことだろうと思います。
「好き」という言葉を定義し直す、またはイメージのすりあわせは必要かもしれません。
「好き」という言葉にその人その人の価値観は投影されます。
好きになったものが、壊れてしまったり、無くしてしまったり、奪われてしまったりした経験のある人は、好きなったものを所有することが怖いかもしれません。
好きになった人に裏切られたり、傷つけられたりしたことがある人なら好きになることを怖れるかもしれません。
ですから、好きになっても…好きになったのに…、
と好きになること、好きなことを認めること自体から遠ざかってしまう人もいるかもしれませんね。
僕はそのひとりでした。今もその怖れと対峙することはしばしばあります。
本当に好きな人や、ものよりも、なんとなく好きになったほうがいいもの、周りが好きになっているもの、裏切られてもそれほど傷心しないもの、夢中にならないものを選択しているように思います。
あなたは本当に好きなもの、こと、人に囲まれて生きていますか?
どこかで、「むき出しの好き」ではなく、代替可能な「好き」のほうが安心するわけです。(僕だけ?)
学生時代からの友人が、社会人になって早々に結婚しました。
学生時代に付き合っていた彼女ではなく、会社で知り合った女性でした。
学生時代、とてもお似合いだったカップルで彼女もとても美しい人でした。仲間内では新しい彼女に妊娠させたから?という噂まででましたが、結局、彼が新しい彼女のほうが落ち着くから、という理由でした。
今では、死んだ魚のような目をして生きている彼ですので、あの彼女だったら!と仲間内では悔やんでいます。
社会人になって自分に自信を持てなくなったのか、彼女のほうが社会的に権威のある会社に入ったからなのか、実際のところは分かりません。
ゆっくりと死んでいく彼にゲキを飛ばせるのは当時の彼女しかいない!と今でも思っています。
本当の好きは胸の奥に…。
ノスタルジックに思うほうがカッコイイ?
恋は遠い日の花火にしておいたほうが美しい?
AQUAMIXT が起ち上がる前、僕が離婚をして、ひとりで夢を模索して動いている頃、ある夜のカウンセラーの女性の前で夢を語ったことがありました。1時間3,500円ポッキリという明朗会計をウリにしているお店でした。(※指名料は別途かかります。)
「俺ね、心理カウンセラーになりたいんだよね。困っている人、助けを求めている人の役に立つことを人生を賭してやって生きたいと思っているんだ。」
と多い目をして、宙を見ながら話してみました。
夢を語る俺を見ている?と横目でカウンセラー嬢を見ながら、「叶いっこないでしょ、そんな夢!」と自分をあざ笑う自分もいるわけです。
「ま、この嬢の前だけ、擬似夢!擬似夢!ぎじむぅぅ!」
でも、心から欲している夢を自分の人生に介入してこない彼女に話すなんて、僕もビビりな男でした。
「潤治さんならできるよ!大丈夫、わたし応援する!」
「◯◯ちゃんが応援してくれるなら、俺、頑張ってみるよ!」
と一連のお約束のやりとりを彼女として、時間延長もせずに帰宅するわけです。
(※再度、指名料がかかるため)
偽りのお芝居をして、深酒して、自己嫌悪になる、最低なパターンを繰り返す日々でした。
夜の嬢とも深みに入りそうになると、全く新しい指名の嬢に夢を話すようになります。
まるで、マッチ売りの少女のように、束の間の幸福を味わい、どんどん衰弱していきました。
叶えられないと思って檻の中から出ない夢は、僕を衰弱させていくのでした。
でも、そのほうが楽なのです。
自分の気持ちに100パーセント受けとめて生きるなんてしんどいのですから。
本当の気持ちを表現して裏切られたり、失敗したり、挫折したら?
誰が責任を取ってくれんだ?え?
僕は自分の人生の責任を取るなんて嫌だぁぁぁぁぁぁ!と思っていたわけです。
誰かのせいにして、自分の人生の自己責任負担を減らして生きたいと。
残念ながら、この後、お前の本当にやりたいことは何だ?と詰め寄ってくれるパートナーとの出会いで人生は変わっていくことになります。
そのあたりの夫婦の経験が、詰め寄らなくても、優しく自己実現、ライフパーパスへのエスコートすることができるようになりました。
それがライフパーパス個人レッスンでも生きています。
「好きを仕事に」ではなく、「好きを人生に」でありたいと思います。
その結果、表現方法が仕事であったりすることが多々ありますw。