僕と寛子が結婚した十数年前。
ふたりが出逢う前から、お互いに読んでいた本があります。
「7つの習慣」スティーブ・R・コヴィー著 です。
今でも僕のバイブルであり、大切な考え方です。
残念ながら、その素晴らしいエッセンスを僕なりに解釈し、
使いこなしていたこともあります。
何かを成し遂げることが素晴らしいと僕は思っていたし、今でもその思いは少なからずあります。
目標を設定し、その過程や手段、方法を考慮し、日々の行動を積み上げていく…。
もう、これを文字にするだけでテンションが上がる僕がいます。
「努力・根性・達成・目標・やりがい・頑張る」などの言葉は僕を奮い立たせてきました。
しかし、ここ数年、小葉が生まれてから、その状況が変わっていきました。
寛子がメルマガで書いていた内容どおり、達成感のない日々です。
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この数年、AQUA MIXTの仕事で大きな達成感を得ることはほとんどありません。
停滞感というほどではないのですが、好きなだけ仕事に打ち込める環境ではありません。
妊娠出産を経て産後1ヶ月から仕事を再開してから、日々ギリギリの状況で過ごしているというのもあります。それなのに、仕事はいい流れ、新しいチャレンジ、新たなご縁、収入が上がる…
潤治と2人で
「こんなに不完全燃焼で、何1つ達成感を得られていないのに、なぜ?」
と何故?何故?づくしです。達成感のない、目標設定もない日々です。
何かを目指して、達成するということの何をそんなに重要視していたのか?
と自問する日々でもあります。
ひょっとしたら、僕はアドレナリンを分泌させ、興奮状態を味わっていたいのかもしれません。
感情の上がり下がりの激しいアドレナリンジェットコースターに乗り、
「生きている実感」を得たかったのかもしれません。
できるか、できないかというギリギリの状況も
自分のそういった興奮状態を得たいがためだったのだろうと感じています。
今は、ことごとく、そうした「やりがい」「達成感」のようなものを感じない日々です。
天使のメッセージは「それは手に取るものではなく、香るものよ。」
と優しく真綿で首を絞めてくれますw。
「なんじゃァァァ!それはァァァ!おちょくってんのか!!?」
と思わず笑ってしまいます。
さて、「頑張らない人生」とよく自己啓発的な言い回しはあります。
頑張らないってなかなか難しいことだと僕自身は思います。
誰かにこのように見られたい、好かれたい、愛して欲しいと思うと、
相手のために何かしたくなったり、自分じゃない誰かになろうとすることは
少なからずあると思うのですが、僕だけでしょうか?w
「好きなもののために、好きな人のために、頑張っちゃダメかねぇ?」と思う僕もいます。
残念ながら、家族のために頑張ると、その後にやってくる不調和の波に呑まれます。
もう、家族像を根底から覆す衝撃を何度も味わっています。
僕がこの世にこのように見られたいと思ってしまう人がふたりいます。
寛子と小葉です。
頑張らない自分でいられないわけです。
相手のために頑張ることが愛情表現のひとつだったのかもしれません。
僕の最大の愛情表現は相手のために頑張ることだったのです。
また、そして、
頑張ることが何かの贖罪になっていたかも?
頑張ることが誰かの期待に応えることだったのかも?
頑張ることが自己表現のひとつだったかも?
頑張ることがこの世に生まれた言い訳になったのかも?
頑張ることが自分を許せることにつながったのかも?
頑張ることが周りへの貢献だと思っていたのかも?
頑張ることがが欠乏意識を埋めていたのかも?
あなたはどうですか?
僕はすべて当てはまってしまいます…。
「それは手に取るものではなく、香るものよ。」
という天使のメッセージを胸に留めながらのぎこちない日々を過ごしています。
人生の再構築中です。