無駄だと思うことも、当たり前だと思ってあまりそこに意味を見いだせないことも、それらを積み重ねていったところに見えてくる景色があるとライフワークを生きていて思います。
つい効率や効果のあること、損得などを考えてしまうのですが…。
前回「ライフワーク一歩手前の物語 行動すれば次の現実(1)」の続きになります。
30歳になり、自分の人生を生きると言いながらも、何か手段が欲しいと思っていた僕は権利収入という言葉に惹かれ、ネットワークビジネスというものを知りました。(ライフワーク一歩手前の物語シリーズ)
当時の仲間たちは純粋(のように見える)で、世界を変えたい、この世を良くしたい、親孝行したい、不公平な社会システムを変えたい、などのために自分自身にパワーが欲しいと考えている人たちでした。
なぜ、ネットワークビジネスを選択するのか?
そのようなことを彼らと話し合う時、彼らにキラキラした子どものような発想や思いを感じられ、僕自身は素敵な人たちに関われるなと思ったものでした。
その中のひとり、前回、僕が心を奪われた女の子もそのビジネスへの吸引力のひとつでした。
学歴も職歴も立派な仲間たちに氣おくれしながらも、僕はまったく既存の価値観や立場が関係のないネットワークビジネスの世界を心地よく思いました。
世の中への復讐心という僕の邪な動機も、全部包み込んでくれるこのビジネスに傾倒していました。
社会的なヒエラルキーを僕自身が勝手に感じ、その順序総入れ替えができるビジネスだとも思いました。
率直な氣持ちとして、社会的な階層を僕に感じさせた社会そのものに復讐したいという感覚でした。(もう、バカすぎるでしょ?)
立派な動機を語る仲間やそのビジネスを通して知り合う人たちに完全に後ろめたい氣持ちでした。
しかし、人生を変えたい!自分を変えたい!敗北者氣分なんて味わいたくない!見返してやる!と過剰なエネルギー放出をしていた僕でしたから、火の粉を散らしながら、それなりの報酬と権利を有するようになりました。
「アメリカでのコンベンション(世界会議)に出れば、さらに確信とモチベーションが上がり、ビジネスが進展するよ。」
というアップライン(僕よりも先に事業に参画した人)にアドバイスをもらい、アメリカユタ州に行くことにしました。
心の中では、「意味のないこと」「一時的な麻疹のような夢」「お金の工面」などの僕の不安を言い当てるような言葉が湧き起こっていました。
それとともに、何かを新しいことが始まるようなワクワク感があり、慎重派の僕ですが、その予感のようなものに従いました。
そこになんの意味づけもせずに、ただ行動する。
このことは、今でも難しく思います。
意味のないことではないか?他にもっといいことは何?と思いながら、何も選択しない、つまり、何もしないことを選択している自分に氣づくことがあります。
天使のことも、目に見えない何かを信頼することも、なかった当時の僕ですが、目の前に何かを感じました。
そのとおり、そのビジネスが進展するという思考の範疇を超えて、僕の人生が劇的に変わるきっかけがアメリカではありました。
アメリカでのワールドコンベンション(世界会議)会場で多くの成功者たちのスピーチを聴くために席に着いていると、その氣になっていた女の子が隣に座っていました。
相変わらず、僕は未来への熱い思いを語り、彼女は優しく相槌を打ってくれていました。
「将来的に、個人のカウンセリング業を自宅でやりたいんだよね。」
「じゃあ、一緒にやろうよ。」
仲間たちの大反対に合い、彼女と僕は入籍することになりました。
ビジネスが進展したと言えるかもしれません。
彼女との人生二人三脚によって、僕は、僕の魂に嘘をついたり、誤魔化さずに、僕本来の整体師としてのマッサージ、心理カウンセラーとしてのセッションを持って、市場に自分を表現するようになったのですから。
ネットワークビジネスという代替手段ではなく、本当は避けていた「ありのままの自分を市場価値に委ねる」ことをし始めました。
本当にしたいことを真っ直ぐにする必要があったわけです。
それを僕は権利収入を得て、夢を叶えるという大風呂敷を広げて、誤魔化していたのかもしれません。
しかし、ネットワークビジネスでの経験や考え方は今も全く色褪せない知恵となって僕を支えてくれます。
思考で捉えたら無駄だと思えたことの数々も、ただ選択して行動していくとどのような道筋であろうと魂が望んでいる場所に向かうのだと今では思います。
全体像が見えないジグソーパズルのピースをひとつひとつ集めていく作業は時に不安に、徒労感に襲われるかもしれません。
僕は怖がりですから、その徒労感や不安をすぐに感じやすかったように思います。人生をまるごと信頼することができなかったわけです。
行き止まりだと思っては、道を変え、不安になってまた道を変え…。
しかし、結局、いい感じに整えられていくなら、どんなピースでも、集めなければ、人生もったいないように僕には感じられます。
今ではなるべく…、どのようなピースでも集めるようにしています。